「父が最後に言ったんです、『中身はいざという時まで使うな』って。それってもしかして、いざという時は使えって意味だったのかなと思って。それにあの時は他に方法もなかったし、どうせ捕まるならと……」 自分で言っていて、あの時は本当にどうかしていたと…
鬼灯は、交通事故のニュースについては知らなかった。「しょうがねえだろ、さっき起きたばかりなんだから」 そう言い訳をするが、「また遅くまで飲んでたんでしょ」と璃々に指摘される。 どうやら翼斗が璃々とこの事務所を訪れた時には鬼灯はまだ寝ており、…
うちの娘、と呼ばれた少女は、男が隣にいるためか、先ほどよりは警戒を解いたようだった。 改めて見ると、刹那とその少女が別人であることはすぐに分かった。髪の長さが違うのだ。刹那は肩下まで伸ばしていたが、その少女は肩までもないボブカットだった。切…
裏口を出て真っ直ぐ進むと、八百萬ジャンク・ショップと同じ敷地内に古い平屋が建っていた。周囲は背の高い塀で囲まれている。「さて、ここから入るよ」 そう言って璃々は平屋の扉を開けた。 小上がりのついた玄関である。そこからいくつかの部屋に繋がって…
「あの、誤解です。ポケットに手を入れたのは武器じゃなくてメモを取るためで。柏木さんに描いてもらった地図です。それを見てここまで来たんですよ」「地図?」「ええ、地図。地図とは思えないですが地図」「ふぅん? じゃあ君、ゆっくり、その手を出しなさ…
翼斗は立ち尽くしていた。 地図で示された場所に、ようやく辿り着いた……はずだった。 しかしそこにあるのは、どう見ても、ただの古ぼけた商店だった。 さかのぼること半日前。 墓地を後にした翼斗は、疲労がピークに達していたため、陸に教えてもらった安ホ…
《前章までのあらすじ》 柊翼斗は脳科学者である両親のもと、地上で平穏な高校生活を送っていた。 しかしある日、その日常は一変する。 家族を失った翼斗は一人、目的を見失い、東京の大地下空間であるアンダープレートへと流れ着く。 そこで反社会組織REVER…
——弔う。 そんな言葉は、自分には縁遠いものだと思っていた。 いや、実際に昨日まではそうだったのだろう。 朝食を作り、両親を見送って、妹と学校へ行き、クラスメートと雑談し、夕食の買い出しをして、だらだらと時間を潰して、なんとなく眠りにつく。 そ…
説明を聞いてアネサンボスはしばらく黙っていたが、「いくつか質問するぞ。一つ目、イツキはどこに行った?」と訊いてきた。「さあ。別の男に追いかけられて、トンネルから出て行った。その後の行方は知らない」「二つ目。事故のニュースはさっきアタシも見…
生暖かく湿った風が頬を撫でる。 地中深く閉ざされたこの空間の、一体どこから風が吹いてくるのだろう。 翼斗は二人の男について歩いていた。 看守に連れられて死刑台へ向かう囚人の気分だった。 どこへ連れて行かれるのか分からなかったが、刹那を背負った…
何もかもに現実味が無かった。 作り物の世界で、誰かが作ったストーリーの登場人物になったように思えてくる。 いつか昔の映画で観たことがある。かりそめの生活、与えられた日常を本物だと信じ込んだ一人の男の生き様を世界中の人々が見て笑っているという…
と、その時だった。翼斗の腕を固めていた力が、ふいに緩んだ。 急いでその体勢を脱して、体勢を立て直す。 見ると、青年の正面に、いつの間に現れたのか、見知らぬ男が立っていた。 男の手には変わった形をした大型の銃が握られており、その銃口はぴたりと青…
「…………刹那」 刹那はぴくりとも動かなかった。 気を失ったのではなかった。大切な何かが消えていた。 刹那の肉体に宿っていたあらゆるものが、永遠に失われたのだと分かった。 喪ったことを悟った。 嘘みたいにあっという間だった。 何も感じなかった。脳が…
両親との電話。二人の声がフラッシュバックする。 『愛してる』母の声。『刹那を頼む』父の声。 心臓の鼓動が速い。しかし身体は金縛りにあったかのように、指一本動かなかった。 死んだ? 父と母が? 隣にいる刹那に目をやると、青ざめた顔で固まっていた。…
「そういえば、朝のニュースでやってたんですけど」 翼斗はものはついでと、児玉が言っていた噂についても訊いてみることにした。「朝のニュース? ああ、毒田シュナイゼルパコ美さんの結婚かい? あれはびっくりしたね」「その人、そんなに有名なんですか………
搬入ターミナルは、運搬用のドローンやトラックで溢れかえっていた。 地下の倉庫や工場に搬入される荷物はここで仕分けされ、トンネルを抜けて貨物用エレベータで地下へ運ばれる。 現場を仕切っている作業員も何名かいるにはいるが、ほとんどすべての機械が…
「いやー、兄ちゃんの笑ってるとこ見てたら落ち着いたよ。もっと普段から笑ったらいいのに」「人をネクラみたいに言うな。面白かったら普通に笑うよ」 そろそろ行くか、と腰を上げる。かれこれ30分近く休憩していた。 翼斗も、だいぶ気分は落ち着いていた…
コンビニで買い物を終え、店前の段差に二人で座って早めの朝食を採る。 朝の6時前だが、激しい運動をしたせいか、いつも以上にお腹が空いていた。 隣で刹那は、おでんを美味しそうに食べながら、ホットココアを飲んでいる。 「……その組み合わせは合うのか?…
自分たちが危機的状況にあると確信したのは、翌日の午前6時頃のことだった。 時は2時間ほど遡る。 目を覚ますと、サイドボードに置いたWHDが振動し、着信音を響かせていた。 部屋の暗さからすると、まだ日も昇っていないようだった。 こんな時間にいったい誰…
ACTとは、“anti - critical threat office”の頭文字をとった略称で、日本語での正式名称は“重大脅威対策室”である。 警察庁と同じく、国家公安委員会の直轄する捜査機関だが、警察と違って、令状がなくても捜査員の判断で強制捜査を行えるという、非常に強力…
「あいつ、一人で行ったりしないだろうなー」 須藤が心配半分、期待半分といった口調で言う。 放課後、翼斗は須藤と下校していた。「まあ、さすがに大丈夫だと思うけどな。最後ちょっと涙ぐんでたし。それより須藤は今日も塾?」「まあね。参っちゃうよな、…
「お前なあ、下層がどんな場所か知ってて言ってるのか?」 須藤が呆れた様子で言う。「何を言う、知らないからこそ行くんじゃないか!」「もっともらしいことを言うんじゃないよ。出入り禁止になってることにはちゃんと理由があるんだ。そんなことも知らずに…
「柊くん。ヒイラギヨクトくん、聞いてますか?」 教師に名前を呼ばれ、窓の外から視線を戻すと、クラス中の注目が翼斗に集まっていた。「はい、聞いてました」「そう。じゃあ君はどうですか?」「あ、はい。そうですね」「よし、では今日のファシリテータは…
『 2020年7月10日、K国の宣戦布告により、第二次太平洋戦争が勃発した。 日・米連合軍 対 K国の構図であったが、実際にはC国・R国と米国の代理戦争的性格の強いものであった。 開戦からわずか一週間後の7月18日、K国より東京に向けて核ミサイルが…
「ああ、朝の電車は苦手だ……オーマイだ」 ラッシュタイムの車内で足を踏ん張っている刹那が、気だるそうに呟く。 両親が家を出た直後にようやく降りてきた刹那と、いつものように二人で学校へ向かっているところだ。 都心に向かうエアロトレインは、駅に停車…
刹那が降りてくるのを待っていると、父が思い出したように、「そういえば翼斗、夢は見た?」と訊いてきた。 そういえば、忘れていた。 夢の内容について報告するのは朝の日課になっているのだ。「ああ、ごめん。見たよ。ほとんどいつもと同じだったけど、い…
「お前、またアラームセットしてなかっただろ。せっかく俺より高機能なやつ使ってるのに」「いやあ、最後寝落ちしちゃったみたいでさあ。チャコさん最後まで残るから、どうしても3時回っちゃうんだよね。まあどうせ兄ちゃんが起こしてくれるんだし、大丈夫…
柊翼斗(ヒイラギヨクト)は目を覚ました。 体を起こし、伸びをする。今日も目覚めは完璧だ。 ベッドのヘッドボード部分にあるディスプレイを操作し、目覚ましを解除する。センサーで脳波を測定し、眠りの浅いタイミングで起こしてくれるのだ。そのため、起…
そこが夢であることは、ひと目で分かった。 夢といえば普通は、記憶にある風景や想像上の世界の中に自分がいて、荒唐無稽ではあっても何らかのストーリー性を持っているものだろう。 しかし、ここは違う。夢というには、明らかに異質な夢だ。 辺り一面、どこ…
クラゲの気持ちになったことがあるだろうか。 あるわけがない、という答えが大半だろう。 そもそもクラゲには意識がない、という意見もありそうだ。 クラゲに意識があるのかという点については、私自身も「ない」という立場なので、その意見には全面的に賛同…