009 下校~夕食
「あいつ、一人で行ったりしないだろうなー」
須藤が心配半分、期待半分といった口調で言う。
放課後、翼斗は須藤と下校していた。
「まあ、さすがに大丈夫だと思うけどな。最後ちょっと涙ぐんでたし。それより須藤は今日も塾?」
「まあね。参っちゃうよな、高二という黄金時代に週四で塾通いとかさ。俺だってもっと恋に部活に青春を謳歌したいのに」
須藤が言うと、どこまで本気か分からない。
須藤は飄々としたキャラクターだが、根は真面目で、学業の成績はかなり優秀だ。なんでも父親がfour-leavesの本社勤めだとかで、教育に厳しいのだと本人から聞いたことがある。
「俺はまだいいんだけど、弟も塾に行かされててさ。友達とも遊べないみたいで可哀想なんだよな」
「ああ……タクミくんだっけ。確か中学生だよな」
思っていた以上に厳しい家庭環境のようだ。
「親父はさ、four-leaves以外は会社じゃないみたいな、驕れる平家みたいなことを本気で思ってるんだよ。ほんとは俺だって教師とかになりたいんだけどなあ」と須藤は言う。
へえ、と翼斗は少し意外に感じた。
将来何がしたいかなんて、翼斗は考えたこともなかった。
「教師か、意外な夢だな。須藤はなんというか、子供とか嫌いそうなイメージだったけど」
「嫌いだけどさ。ナマイキな子供を服従させるのって楽しそうじゃん?」
そんな志の持ち主にだけは教師になってほしくない。
「翼斗は将来やりたいとかあるか?」と須藤が訊いてくる。
翼斗はしばらく考えてみるが、特に思い浮かぶものはなかった。
考える時点で、ないのだとも言える。
「俺は進路とか、正直まだ何も考えてないなあ。両親は研究者だけど俺はそもそも文系だし、料理は好きだけどプロになりたいってわけでもないし」
「そっか、翼斗の両親って理化学研究センターの研究者なんだよなあ。学校から帰っても両親ともいないんだっけ? うらやましいわ。うちなんて母親がずっといるし、親父も週2くらい家でテレワークだぜ。あと刹那ちゃんも可愛いし、あ、なんか言ってるうちに腹立ってきたわ。死ね」
「完全自動運転で殺意を向けてくるなよ……それに妹なんて実際にいたら可愛いとか思わないからな」
弟より妹の方が可愛いに決まってるだろ、と理不尽な文句を言ってくる須藤を無視して歩いていると、中学校舎の校門前に刹那が立っているのが見えた。
こちらに気付いて、オーイと手を振ってくる。
刹那の友達が部活の日など、放課後にこうして校門前で合流して一緒に帰ることがあるのだが、今日はタイミングが悪かった。
「あっ、噂をすれば刹那ちゃん。やっぱ仲いいじゃん、手とか振られちゃってさ。マジで超うらやましいんですけど」
今日の須藤はやけにからんでくる。そして面倒くさい。親と喧嘩でもしたのか。
翼斗が刹那に声をかけるより先に須藤が、
「やあやあ刹那ちゃん。さっきこのお兄さん、妹なんてぜんぜん可愛くないとか言ってたんだけど、どう思う?」と余計なことを言う。
刹那がとたんにムッとした表情になる。
「はぁ? 兄ちゃんだって全然モテないくせに」
「お前が俺のモテ事情の何を知ってるんだよ」
「須藤さんから聞いてだいたい知ってる」
この野郎、と翼斗は須藤をにらむが、須藤はこちらを見もせず、「こんな男は見限って俺の妹になりなよ」などと言っている。
そのまま二人で盛り上がり始めたので、翼斗は夕飯のメニューを考えることにした。
刹那と一度別れ、夕飯の買い出しのため駅前の生鮮マーケットに寄ることにした。
最近では中食や宅配サービスで済ます家庭が多く、食材を買いに来る人は少ない。飲食店の食材調達も朝か昼過ぎに集中するため、夕方の店内はかなり空いていた。
食材を吟味しながら袋に入れていき、そのまま店を出る。翼斗は両親から特別に買い出し用のクレジットアカウントを作ってもらっているため、レジを通さずとも入退店時に自動決済ができるのだ。
WHDに決済額の通知が届く。3,210円。やはり国産野菜は高くつく。
「おかえりー」
自宅に戻ると、刹那が玄関のドアを開けてくれた。
両手が荷物でふさがっているため、買い出しの後はいつもこうして開けてもらうのだ。
翼斗は刹那の顔をまじまじと見つめた。
「ん? なに、人の顔をじろじろと」
「いや、別に」
刹那は一瞬きょとんとし、自分の顔をぺたぺた触りながら奥に引っ込んでいった。
——明るい緑。
翼斗は、音楽や文章や声だけでなく、人の顔にも色を感じることがあった。
いつでもは見えないし、常に決まった色が視えるわけでもない。どうやら、話している相手が強い感情を抱いた時、それがイメージとして伝わってくるらしかった。
刹那が出迎えてくれる時はいつも、この明るい緑色が視える。
その色は、翼斗が視る色の中でもっとも優しい色だった。
*
「刹那はさ、将来の夢とかあるのか?」
夕飯の途中、翼斗はなんとなく刹那に質問してみた。
「どしたの突然? そんな甘酸っぱい質問を……別にないよ?」
刹那は一瞬目を丸くしてから、すぐに目を逸らしてカチャカチャと音を立てながらシチューをかき混ぜ始めた。
分かりやすく不自然だった。
答えた時に刹那の顔にオレンジ色が視えたことからも、嘘だろうと予想はできた。翼斗の経験からして、オレンジは嘘の色だ。しかし刹那の場合、色視に頼らなくとも、見破るのは難しくない。
「へえ、あるのか。そりゃ意外だな。まさかプロのゲーマーとか?」
「兄ちゃんはエスパーかなんかなの?」
まさか当たるとは。
「いや、今のは冗談のつもりだったんだけど……本気で?」
「まあ、ゲーマーってのは半分冗談だよ。本当はさ、アクトに入りたいなーなんて、思ったりしちゃったりする時もあったりなかったりしたりしなかったり」
照れくさそうな刹那のその物言いから、今度は本気だと分かった。
故に、驚いた。
「えっ! アクトって、あのACT?」
思わずシチューを噴きそうになってしまった。
「ちょっと汚いなあ。なにもシチュー噴かなくてもいいでしょ!」
噴いていた。