GOLDEN AGE ~追跡屋TAG~

自作の連載小説をあげていきます。

019 シュノーと陸

 何もかもに現実味が無かった。
 作り物の世界で、誰かが作ったストーリーの登場人物になったように思えてくる。
 いつか昔の映画で観たことがある。かりそめの生活、与えられた日常を本物だと信じ込んだ一人の男の生き様を世界中の人々が見て笑っているという、まさにあの主人公のような気分。道化もいいところだ。

 ——ソウダ、コンナノウソダ。

 貨物用エレベータで下層へと降りてから、あてもなく歩き続けていた。
 目的地などない。目的を失ったのだから。
 昼間だというのに、アンダープレートは薄暗く感じられた。100メートル以上の高さに天板があり、空を塞いでいる。そこから人工照明が全域を照らしているのだが、地上と違い、鬱々とした、無機質な明るさだった。
 辺りには、安普請の建物やあばら屋が並んでいる。朽ち果てた建物の残骸。打ち捨てられた自転車。道端に座り込み中空をじっと見つめている痩せこけた老人。
 無味無臭で無色、無感情で無感動の世界。
 地上では決して見ることのない光景だった。ネットなどで見たことはあったが、実際にこの目で見ると、まるで別の惑星に来てしまったような錯覚を覚える。

 しかしそんな下層の様子を目にしながら、翼斗は何の感傷も抱いていなかった。
 大脳の情動を司る神経回路が麻痺しているようだった。
 昨日までは、何の変哲もない、普通の日常だったはずだ。それが一日で、たった半日でこの有様とは。

 ——ウソニキマッテル。

 あまりにも馬鹿げている。常識の範疇ではない。
 やっぱり、あの曖昧な夢の続きを彷徨っているだけなのではなかろうか。
「なあ、刹那?」
 背中におぶった妹に声をかけるが、返事はない。

 ——ウソジャナイ?

 翼斗は刹那をあの場所に残していくことができず、亡骸《なきがら》を背負って歩き続けていた。
 下層のどの辺りを歩いているのか、見当もつかないし、どうでもよかった。
 そういえば、あの親切な青年……イツキだったっけ?……が言っていた。
 北側と東側には近寄るな、と。

「近寄ったら、どうなるってんだよ」

 痛めつけられる? 身ぐるみを剥がされる?
 何が起ころうと、今よりひどい状況なんて考えられない。
 地球上で他に一人でもこれ以上の不幸に遭っている人間がいるとは思えない。
 なんで自分がこんな目に合わなければいけないのか。
 これが嘘じゃないなら、あまりに理不尽すぎる。不条理すぎる。
 自分たち家族がいったい何をしたというのか。
 あの人の良い父と、正義感の強い母と、優しい刹那が。

 ——ふざけるな。

「おいてめえ、何やってんだ」
 後ろから急に肩を掴まれた。
 暗く煮えたぎった感情を爆発させるのに、ちょうどいいタイミングだった。
 掴まれた方に向き直るその勢いで、思い切り相手の顔面に向けて拳を放った。反動で刹那の身体がずれ落ちそうになる。

(おいおい、最低だなお前)
(もう死んだ方がいいんじゃない?)

 冷めた頭の中のどこかから、そんな自嘲の声が聞こえてくる。
 拳が相手の頭部に命中し、拳に痛みが走る。
 まるで岩を殴ったような感触だった。
 相手は倒れるか、怒り狂って殴り返してくるだろう。どっちでもいい。どうにでもなればいい。いっそ殴り殺してくれないだろうか。

 しかし、何も起こらなかった。

 相手の男は、翼斗の拳をまともに受けながら、ピクリとも動かなかった。眉一つ動かさず、翼斗をただ見ていた。翼斗のパンチなど気付きもしなかったかのように。
 恐らく、蚊が止まった時の方がましな反応をするだろう。

「威勢がいいな、クソガキ。その後ろのは何だ?」
 その短い金髪の男は、背負われている刹那を見て言った。堪能な日本語だが、西洋系の、いかつい顔立ちの男だった。
「シュノー。そいつ、どう見てもアカツキじゃねえ、ですよ」
 西洋人の後ろからもう一人、男が口を挟んでくる。こちらは東洋系だった。
「んなこたあ分かってんだよ。でも死体おぶってるガキなんてどう見ても異常だろうが」
 シュノーと呼ばれた男が言い返す。二人は仲間のようだった。
 翼斗は激情に任せて人を殴ってしまった後悔と、何事もなかったかのようにそれを受け流された驚きで、少し冷静さを取り戻していた。
「……あんた誰だ。何か用かよ。俺が誰を背負ってようが勝手だろ」
 そう言った瞬間、翼斗の腹部に重い一撃が入った。呼吸ができなくなり、思わず膝をつく。
「なめた口きくんじゃねえ。てめえも死体にしてやろうか」
「ストップ、シュノー。この子供、もしかして上から来たんじゃないか? 俺たちのこと知らない、そうだ。おてまえ、何があったか話してみろ、です」
 そう言って東洋人の男が翼斗を抱き起こす。
 シュノーと呼ばれた血気盛んな男に対して、東洋人の方は言葉こそ妙なカタコトだが、落ち着いた口調だった。
「おい陸、『お手前』は『自分』って意味だよ。『おいてめえ』、な」
「ふむ。おいてまえ、おいてまえ。おてまえ、話してみろです」
 シュノーは諦めたように肩をすくめる。

 翼斗は少し逡巡したが、簡単に事情を説明することにした。
 まともな人間ではなさそうだが、賊の類ではないようだし、翼斗自身、誰か第三者に話を聞いてもらいたかったのかもしれない。
 翼斗は朝からの出来事を、金庫の件だけは伏せて、かいつまんで説明した。

 説明を聞き終えると、陸と呼ばれた東洋人が口を開いた。
「それは災難だった、だな。でもこのまま見逃すはできない。アネサン……俺たちのボスにも今と同じこと説明しろ、です」
「ぼ、ボス……?」
 この二人が所属している組織の長、ということだろうか。
「なんでそんなことを? というか、その前に訊きたいんだけど、あんたたち一体なんなんだ? まさか警察ってわけでもないだろうし」
 いくら何でもこんな警察がいるはずがない。
 するとシュノーが小さく舌打ちをし、

「REVERENCEだ。この辺歩くんなら、そのくらい知っとけ」

 そう言って、ガッと噛みつくような仕草をした。