GOLDEN AGE ~追跡屋TAG~

自作の連載小説をあげていきます。

005 依頼①

 

 鬼灯は、交通事故のニュースについては知らなかった。
「しょうがねえだろ、さっき起きたばかりなんだから」
 そう言い訳をするが、「また遅くまで飲んでたんでしょ」と璃々に指摘される。
 どうやら翼斗が璃々とこの事務所を訪れた時には鬼灯はまだ寝ており、翼斗が気を失っている間にコヨリに叩き起こされたらしい。

 クラシック曲は徐々に盛り上がりを見せていた。軽快なテンポの、聞いたことのあるメロディだった。
 翼斗はマグカップを持ち上げ、しかし口にはつけずにテーブルに戻す。

 飲みづらい……。

 翼斗に出されたのはコーヒーではなくカプチーノだった。それはいいのだが、表面のフォームミルクに、ラテアートが施されていた。
 般若面の。
 それもかなり精密でリアルな。怖いくらいに上手い。というか怖い。
 般若が好きなのだろうか?
 鬼……鬼灯。それにTAGとは確か、「鬼ごっこ」という意味もあったはずだ。もしかしたら、事務所のマスコットキャラクター的なものなのかもしれない。
 あまりによく出来ているため飲みづらいのと、ずっと般若ににらまれているのも気味が悪いので早く飲んでしまいたいという気持ちの間で揺れ、結局口をつけられずにいると、「璃々、おかわり」と鬼灯が空のコーヒーカップを璃々に差し出す。どうやら般若がいるのは翼斗のカップ限定のようだ。
 はーい、と璃々が再びキッチンへ向かい、コヨリが後に従う。

「で?その正体不明の追っ手とやらに追い詰められたのは分かったが、どうやって逃げ延びた?」と鬼灯が先を促す。
「あ、はい。さっき話した、搬入ターミナルから僕らをトンネルに入れてくれた作業員なんですけど、この人が……鬼灯さん、イツキって知ってますか?」

 その名前を出した途端、鬼灯の気配が変わった。
 表情は変わっていない。しかし、それまで色らしい色をまったく見せなかった男の顔に、血が燃えているような、ドス黒い赤色の霧が生じていた。
 翼斗は、その尋常ではない気配に一瞬、身がすくんだ。
 そこでふと記憶が蘇る。
 刹那が撃たれた時。翼斗が我を失っている間、同じくらい強い赤色に支配されていたような気がする。だとすると、あの時の翼斗と同じくらい強い怒りを、この男は感じているのだろうか。
 鬼灯とイツキの関係が、単なる興味の対象とか、顔見知りという程度のものではないことは明らかだった。

「……お前が言ってるのは、あのイツキか?」
 鬼灯がそう口を開いた時には、不穏な気配は消えていた。
「ええ、そのイツキです。世間を騒がせている連続自殺犯。その作業員が、実はイツキだったんです」
「そいつは確かなのか」
「ええ。別に証拠があるわけではないですけど、本物だと思います。ただまあ、色々あったんですが、イツキがその場をかき乱したおかげで結果的に僕は助かったんでしょう……僕だけは」
 鬼灯はじっと何かを考えているようだった。
「でも、両親の件や追っ手の男とイツキは関係ないと思います。本人がそう言ってたってのもありますけど、そもそも彼に声かけたのはこちらからだし、ただの偶然だと。そういえば、イツキを追っかけていったあの人は誰だったのかな。いきなり現れて、やたらいかつい銃でイツキを撃ちまくってたんですけど」
「ああ、そりゃ式だな」3本目の煙草に火をつけながら、鬼灯が言った。
「シキ?」
「知り合いだ。イツキ専門のハンターみたいなもんだ。気にしなくていい」
 気にするなと言われても。
 まさかあの男にまで知り合いだとは、世間も狭いものだ。それにしても、登場人物ばかり増えて人物相関図がまったく提示されないので、どこか気持ちが悪い。

 そこに璃々とコヨリが鬼灯のコーヒーのお代わりを持って戻って来た。
「おう」とカップを受け取り、鬼灯が口をつける。
 ばふっ。
 無表情のまま噴き出した。
 やはりというか、わざわざ二人で行った時点で疑うべきだろう。
 注意力が足りないのだ。
「璃々、コヨリ。これはコーヒーじゃなくて醤油だ、今後は間違うな」
 口から醤油をぽたぽた垂らしながら、鬼灯がカップを璃々に返す。
「あら、色が似てるから間違えちゃったよ。意外と騙されるもんだね、コヨリン」
「うん」
「せめて間違えた設定を貫けよ」
 鬼灯は口を拭きながら、「なんてことはない」とアピールするかのように、あくまで済ました顔を貫いている。それを見てコヨリはむむ、という顔をした。
 驚いてはいけない選手権でもやっているのか。
 璃々は話を聞きたいと言っていた割に全然聞いていないんじゃないかという気もしたが、それは別にいいのだが、こちらを巻き込むのだけはやめてほしい。

「イツキの件は分かった。それでお前は助かったが、妹がお前を庇って弾を食らったと。確かに救いのねえ話だ。それから下に降りて、REVERENCEに捕まり、柏木のおっさんに聞いてここに来たってわけだ」
「まあ、そういう感じです。それで、ここからが依頼なんですけど」
 鬼灯が手をかざして制止する。
「焦んなよ。まだ肝心なところを聞いてねえ」
「肝心なところ?」
「お前ら一家が狙われた理由だよ。それが一番重要な手掛かりだ。思い当たるフシは?」
 確かに、それについてはまだ話していなかった。話せることがなかったからだ。
「さっきも言った通り、うちの両親はただの研究者です。理化学研究センターの、脳科学研究室ってところに所属してます……ました。人に恨まれるような仕事じゃないのは確かです」
 理化学研究センターねえ、と鬼灯は煙を吐く。そこが引っ掛かる、とでも言いたげに。
「ただ、これも何の確証もないんですけど……」
 翼斗はバッグから金庫を取り出した。
 やはりこれについて説明をしないことには始まらない。そんな気がした。
「小せえな。何が入ってる」
「父から、逃げる時にこの金庫を持ち出すように言われたんです。開けたら中にこんなものが入っていて」と、アンプルを出して並べる。使用済みで空になった2番と、3番から5番の計4本。追っ手の男にバッグごと思い切りぶつけた気がするが、割れていなくて良かった。
「何かの薬品、みたいだね。1番がないけど」
 璃々が興味深そうに手に取って眺める。
「中身が何かは分かりません。相手がそれを狙っているのかどうかも、父がなぜこれを持って逃げろと言ったのかも。でもトンネルで追っ手に銃を向けられた時、この2番を使ったんです」
 そう言って翼斗は2番のアンプルを手に取った。
「使ったって、自分に注射したってこと!?」璃々が驚き、ええーと声を上げる。
「中身も分からないのに、なんでそんな危ないことを?」
 いや、あなたのパチンコ弾の方が危なかったですけど。