GOLDEN AGE ~追跡屋TAG~

自作の連載小説をあげていきます。

010 平穏なる一日の終わり

 ACTとは、“anti - critical threat office”の頭文字をとった略称で、日本語での正式名称は“重大脅威対策室”である。

 警察庁と同じく、国家公安委員会の直轄する捜査機関だが、警察と違って、令状がなくても捜査員の判断で強制捜査を行えるという、非常に強力な権限を持っているのが特徴だ。
 ただし強制捜査の範囲は、喫緊かつ重大な犯罪と認められたもの、たとえばテロなどを未然に防ぐための捜査活動に限定されている。
 発足した当初はその強すぎる権限が国家権力の濫用であるとして批判の声が大きかったのだが、6年ほど前、ある一人の捜査員が爆破テロを未然に防いだことが大々的に報道されたことをきっかけに、ACTは民衆の支持を得ることとなった。
 今では正義のヒーローよろしく、ACT捜査員が主人公のドラマや映画、漫画やアニメなども多く作られ、子供たちにも人気が高い。小学生男子の将来の夢ランキングでは必ず上位に食い込むほどだ。

 

「ACTって、まず公務員試験に受からなきゃいけないんだぞ。そこからさらに過酷な訓練と適正試験で絞られて、捜査員になれるのは文武を兼ね備えた一部のエリートだけだ。状況分析力と判断力と、それから銃を向けられても笑いながら『撃てよ』って言えるくらいの胆力が必要だって聞くし、フィジカルだって空手柔道逮捕術一通りこなすのは当たり前で、100キロマラソンとかバク宙30回は最低でも出来なきゃいけないらしいけど、お前って確か鉄棒の逆上がりもできなかったと……」

 そこではたと我に返った。普段のほほんとしている妹が意外すぎる夢を持っていたことに驚いて、つい言い過ぎてしまった。
「うるさいなあ、言われなくたって分かってるよ! どうせわたしはゲームだけの人間ですよ、兄ちゃんのバカ! ジビエ!」
 やはり怒らせてしまった。
「別に、本気で目指そうって決めてるわけじゃないよ。でも、あの人みたいにカッコよくて、みんなに慕われて、命賭けで誰かを守ってさ。そういう人になりたいって思うの、そんなにおかしいかな」
 その言葉に翼斗ははっとした。刹那がACTになりたいという動機が理解できたからだ。

 ――あの人みたいに。

 ACTの伝説の捜査員、間宮遼平。
 翼斗と刹那は、以前にその人に会い、その人柄に触れたことがあった。翼斗はもう忘れかけていたが、刹那にとっては忘れられない記憶として、今も鮮やかに残っているのだろう。
「すまん、今のは口が過ぎた。自分から訊いておいてあんな言い方はないよな」
 翼斗の謝罪を聞き入れてくれたのか、刹那は「分かればいいさ」と許してくれた。
 とはいえ、やはり妹にACTが似合わないと思うのも事実だ。刹那の素直さは、そうした血なまぐさい世界とは無縁であるように思えるからだ。
 いや、そう思いたいだけなのかもしれない。
 銃を向けられても、というたとえ話をしたが、妹が銃を向けられている絵など想像したくなかった。

「で、兄ちゃんは?そんな質問してくるってことは、何かなりたいものがあるの?」
 刹那が逆に訊いてくる。
「いや、それを考えてるんだけどさ。なんにも思いつかないんだよな」
 妹の夢に口出しした後だったので気恥ずかしかったが、翼斗は正直に答えた。
「ふうん。兄ちゃんそこそこ成績もいいし、それこそ公務員とか向いてるんじゃない?」
「まあ……やっぱそんな感じだよな」
 公務員といっても色々あるが、都や区の行政機関などは文系の翼斗にとって現実的な選択肢であることは間違いない。ただ、刹那の大望を聞いたせいか、なんだかもの寂しい感じもした。
「偉い人になって、わたしをACTに入れてよ」
「コネでACTに入ってもカッコよくないし慕われもしねえよ」

 

「そーいや今日も母さんたち遅いんだよね?」
 夕食を食べ終え、食器を洗浄機に入れながら刹那が言う。
「ああ、たぶん。定例報告会が近いとか言ってたし」
「じゃあ先にシャワーして寝よっと。昨日あんまり寝てない分、眠くってさあ」
 あくびをしながら自室へ向かう刹那を見送りながら、翼斗は考えていた。

 ――自分は将来、何がしたいのか。

 ソファに寝転がり、天井を見上げる。
 企業で働いている自分。厨房でコック帽をかぶっている自分。どれもピンとこない。
 将来のビジョンを描けないことは特別なことではない、とは思う。しかし一方で、この違和感が、もっと根深い問題からきているような気がするのだ。

 世界そのものに対する違和感、とでも言うべきか。

 翼斗はその違和感を、ふとした瞬間に抱くことがよくあった。自分だけがこの世界から浮いているような、「柊翼斗」という役を演じているような、精神的浮遊感。
 自分という存在には何一つ後ろ盾がないという漠然とした心許なさが、未来予想図にぽっかりと虫食い穴を開けている。果たして自分に将来などあるのか。ましてや黄金時代など。
 しかし、それすら結局のところ、思春期に一度は経験するようなありふれた自意識に過ぎないのかもしれない。
 悩んだところで結論は出ない。そう思うと、なんだかくだらないことで悩んでいる気がしてきて、考えるのをやめた。

 

 

 シャワーを済ませて部屋でゲームをしているうちに、日付が変わっていた。
 寝る前に歯を磨こうと廊下に出ると、刹那がホットココアを持って階段を上ってくるのが目に入った。

「今日も夜更かしか? 眠いとか言ってたのに」と声をかける。
「げっ、見つかった。いや違うんだよ、なんか寝ようとしても眠れなくってさ。落ち着かないっていうか。それで仕方なくゲームでもしようかと思っただけ」
 人はそれを夜更かしと呼ぶ。
 いつでもどこでも、眠くなくても眠れてしまう妹が「眠れない」とは、珍しいこともあるものだ。
「そうだ、眠れない夜にぴったりの本を貸してやるよ。あ、そういえば父さんたちから連絡来てない?」
 先ほどWHDで確認したが、特にメッセージは届いていなかった。遅くなる日はいつも今くらいの時間には連絡が来ているのだが。
「うん、来てないよ。本って、漫画じゃなくて活字の? ほんとに面白い?」
「ああ、俺も眠れないときによく読む本だよ」
 刹那は漫画は好きだが、活字の本はあまり読まない。しかしそんな人にほど効果がある。
 翼斗はWHDで自分のストレージを開くと、書籍情報を刹那のWHDに送信した。都の電子ライブラリに所蔵されている本は、こうして自由にデータのやり取りができる。そしてWHDで目の前に投影すれば、紙の本と同じように読むことが可能だ。
 刹那は「ジュンスイ、リセイ、ヒハン……ほんとに面白いのこれ?」と首を傾げつつ書籍データをダウンロードし、自室に戻っていった。
 その本は、翼斗が「面白い哲学書はないか」と軽い気持ちで須藤に訊いたら薦められたのだが、あまりに難解すぎて手も足も出なかったという代物だ。翼斗の哲学者への道はその時に閉ざされたといっていい。しかしその代わりに、睡眠導入剤としては下手な睡眠薬よりも有用であることを発見したのだった。

 オーラルクリーナーで歯磨きを済ませて自室に戻る途中、ためしに刹那の部屋をノックしてみる――反応がない。
 もう眠りについたらしい。
「すごい効き目だな……」
 想像以上の結果に感嘆しながら自分の部屋に戻る。
 結局、両親から連絡はなかった。きっとそれほど忙しいのだろう。
 翼斗も寝ることにした。WHDを外し、室内灯を消してベッドに潜り込む。

 

 こうして、翼斗のありふれた平穏な一日が終わる。