005 登校
「ああ、朝の電車は苦手だ……オーマイだ」
ラッシュタイムの車内で足を踏ん張っている刹那が、気だるそうに呟く。
両親が家を出た直後にようやく降りてきた刹那と、いつものように二人で学校へ向かっているところだ。
都心に向かうエアロトレインは、駅に停車する度に混雑していく。
「俺もこの人込みは苦手だけどな。でも、昔の通勤はいまより凄かったらしいよ。電車に乗り切れずホームから駅員さんが無理やり押し込んでたとか」
翼斗は以前に父から聞いた話をそのまま披露した。
駅のホームに人が溢れて歩けないほどだったとか、鉄道車両はすべて車輪走行式で速度も半分以下だったとか、浮上走行式のエアロトレインと違ってよく揺れたとか、痴漢が多くて女性専用車両があったとか。
「うえ、なにそれ。昔の人すごいなあ……でも想像するとちょっと面白いね。一回駅員さんに押し込まれてみたいかも」
嫌そうな顔が一転、屈託なく笑い出す。刹那はリアクションが読めない分、見ていて飽きない。翼斗もつられて笑ってしまう。
学校の最寄り駅で下車し、地上に出る。
この区域は小学校から大学までの多くの学校が集中しているため、歩いているのは学生がほとんどだ。刹那の中学校と翼斗の高校は同じ中高一貫校であるが、いかんせん校舎が巨大なため入り口が別々になっており、刹那ともそこで別れることになる。
「そういえば、最近よく使う『オーマイ』って何だ? 流行ってるのか?」
隣を歩く刹那に、最近気になっていたことを訊いてみる。
「ああ、うん。ブイダブでね、バトルとかクエストで負けた時の台詞に『Oh, my God』っていうのがあるんだけど、『オーマイ…』で力尽きて『ゴッド』まで言えないの。それがプレイヤーの間で流行っててさ、つい出ちゃうんだよね」
「お前な、あんまりゲームのネタをリアルに持ち込むなよ。友達にも引かれるぞ」
「ブイダブのフレンドだけで百人はいるから大丈夫だよ。リアルでも兄ちゃんより全然友達多いし」
「オーマイ」「あ、兄ちゃんが死んだ」
中学校舎の入り口で刹那と別れ、高校校舎へ向かう。
一学年の生徒数が二千人を超えるため、ここまで来ても知り合いに会うことは少ない。
日なたから日陰に入る。この時期になると日陰はそれなりに肌寒い。
空を見上げると、そこに、日陰を生みだしている巨大建造物が、圧倒的な存在感をもってそびえ立っている。
東京の象徴であり、日本の象徴。そして戦後復興の象徴。
東京スカイポリスタワービル——通称『スカイタワー』である。
オリーブの実をくわえた鳩がモデルだというそのくちばし部分の突端の高さは、実に1800メートルを誇る。
そのタワーを中心とした約10キロ四方は『プレート街』と呼ばれている。柊家が建っているのも、プレート街の北側に位置する住宅街の中である。
先の戦争で廃墟と化した跡地に、これらの建物が建設された。
東京を一から作り直したと言ってもよい。
そして、そんな大事業を一手に担ったのが、日本一にして世界でも有数の大企業four-leavesである。
東京の戦後復興を支え、その過程で様々な企業を買収しコングロマリットを形成したモンスターカンパニー。両親の働く理化学研究センターもfour-leavesの出資を受けているらしい。
そこで働くことは都民のステータスとされており、翼斗の周りでもfour-leavesは憧れの就職先になっている。特に本社はスカイタワーの最上層にあり、オフィスからの眺めは高所恐怖症の人でも恐怖を忘れるほどだという。
しかし翼斗は、このスカイタワーがあまり好きではなかった。
その豪壮たるスケールには圧倒されるし、完成までに費やされた技術や情熱には畏敬の念を抱かざるを得ないが、常に見張られているような圧迫感を感じてしまうのだ。
「おっすヨクト。どうした、じっとスカイタワー見上げて。OLのスカートの中でも見えるのか? 何色だ?」
後ろから声をかけられて視線をやると、クラスメートで幼馴染の須藤尊だった。
「おす、須藤。ピンク色だよ、お前の頭が」
こうして、いつも通りの一日が始まる。