GOLDEN AGE ~追跡屋TAG~

自作の連載小説をあげていきます。

001 目覚め

 

 そこが夢であることは、ひと目で分かった。

 夢といえば普通は、記憶にある風景や想像上の世界の中に自分がいて、荒唐無稽ではあっても何らかのストーリー性を持っているものだろう。
 しかし、ここは違う。夢というには、明らかに異質な夢だ。
 辺り一面、どこを見てもボウっと淡い水色に光っている。
 自分以外は何もない。重力もなく、上も下も右も左もない。ただ自分だけが漂っている。
 まるでアニメでよく見る、主人公の心象風景のように。
 得体の知れない不気味さはあるが、不思議と不安な気持ちにはならない。
 むしろ温かく、包みこまれるような穏やかな心地だった。天気のいい日に、海辺で風に吹かれている時のような、ずっとこうしていたいと願ってしまうような快適さ。
 しかし、彼は知ってしまっている。これから何が起こるのかを。

 

 ふいに、周りの水色が濁り始めた。
 暗くよどんだ川底に沈められているような感覚に陥る。
 不安や混乱、恐怖などのストレスフルなイメージがまとわりつき、雪崩れ込んでくる。
 視界のすべてが、紫色に染まっていく。
 周りに何万人もの人がいて、その全員が息を押し殺しているような気配。息が詰まり、苦しい。

 

 そして次の瞬間、世界が爆発した。

 

 ギリギリまで膨らませた風船に針を刺したように。
 紫色の風船が割れて、真っ赤な液体がものすごい勢いであふれ出してくる。
 視界が、血がにじむように赤で埋め尽くされていく。その毒々しい色は、怒りや憎しみ、悲劇の色だった。
 濁流のうねりに飲み込まれ、流される。
 赤い液体が自分の内側にまで染み込んできて、体の中が不快な感情で満ちて、張り裂けそうになる。
 不平、不満、不信、怒り、憎しみ、殺意、狂気。
 悪意に身を委ねているうちに、自分が自分ではない別の化け物になってしまったかのように思えてくる。
 化け物は嫌だ——でも、早く楽になりたい。
 そう願ったところで、流れが徐々に緩やかになり、赤一色だった景色も徐々に褪せていく。

 

 次に世界を支配したのは、灰色だ。
 白と黒のみが混ざり合って生まれた、退廃的な死の世界。
 先ほどまでの苦痛が収まっていく。
 しかし苦痛と一緒に色んなものも失われていく。
 それはとても大事なものだったような気がして、思い出そうと目を凝らしてみるが、何もない、どこまでも灰色が広がっているだけだった。
 無限の虚無。底なしの絶望。

 

 分かっている、これは夢だ。
 彼はそうして、ようやく目を覚ます。

 

 

 柊翼斗は目を覚ました。
 体を起こし、伸びをする。今日も目覚めは完璧だ。
 ベッドのヘッドボード部分にあるディスプレイを操作し、目覚ましを解除する。センサーで脳波を測定し、眠りの浅いタイミングで起こしてくれるのだ。そのため、起きてからも夢の内容を覚えていることが多い。
 先ほどまで見ていた夢を反すうする。

 

 いつもと同じ夢。

 

 あの色彩だけの世界も、流れもいつもまったく一緒だった。
 初めのうちは心地いいのに、徐々に重苦しい感じになり、最後は泣きたいような気持になって終わる。プラスマイナスの総計ではマイナス、つまり悪夢といっていいだろう。
 夢は深層意識の現れだというが、自分はひょっとして、得体の知れない欲求とか不満とか、そういった危険なものを心の内に秘めているのだろうか。
 普通ならもっと、分かりやすい悪夢とか、笑っちゃうようなハチャメチャな冒険とか、あるいはちょっとエッチな妄想じみた夢とかを見るものだと思うが……。
 まあ、いまこうして考えても仕方がない。どうせまた後で報告するのだから。
 そう考えてベッドから降りる。

 

 制服に着替え、二階の突き当りの自室から一階のリビングに降りると、まだ誰も起きておらず、ひっそりとしていた。
 これはいつものことで、というより、朝食作りを翼斗自ら買って出ているため、最初に起きるのは当たり前なのである。
 家族はいまどき自動調理機で充分だと言うのだが、翼斗はなんとなく自動調理機の味気ない料理が好きでなく、趣味で料理をしているうちに、いつの間にか朝食と夕食を担当することになってしまったのだ。
 手料理が好きとはいっても、もちろん味が良いことが前提である。
 この前の休日に「久しぶりに腕を振るう」と張り切って作られた母の手料理は、自動調理機ならクーリングオフものの出来栄えだった。『美味しくないカレー』というものがこの世に存在するのだと、逆に新鮮な気持ちになったものだ。

 

 卵をかき混ぜるカチャカチャという音が、しんとしたリビングとキッチンに響く。
 翼斗はこの、一日でもっとも静かな時間が好きだった。外の世界は何もかもが慌ただしく、落ち着ける時間が少ないのだ。
 そんなボーナスタイムも、じきに終わってしまうのだが。

 

 食卓に皿を並べていると、規則的だがせわしない足音と、ふらふらと不規則な足音がリビングに入ってきた。
「しゃっきりしなよ、今日は全体定例あるんだから。前回みたいに居眠りとかしないでよ? あ、翼斗おはよう、朝食ありがとね。コーヒーは自分で淹れるわ」
 母が、朝から相変わらずの機動力を見せつけている。
「おはよ。昨日も遅かったの?」
「うん? ああ、おはよう翼斗。昨日は何時に帰ってきたかな……ええと…………ふが」
 父はまだ半分眠ったままの頭で考えだすと、そのままフリーズしてしまった。
「帰ったのが2時頃だったから寝たのは3時過ぎね。ほらアンタ、ぼーっと突っ立ってないで早く食べな」
 直立不動のままゴニョゴニョ言っている父を突っつきながら、母が二杯分のコーヒーを持って席に着く。
 リモコンでウォールディスプレイの電源を入れ、メニューから『ニュース』を選択すると、ディスプレイにいくつかのトピックスが表示される。
 ふと表示されている時刻を見ると、7時45分を過ぎていた。このタイミングでまだ起きてこないということは……

 

 二階に上がり、手前の部屋をノックする。
「おいセツナ、起きてるか」
「……オィェルヨー……」
 ムニョムニョとくぐもった声が聞こえてくる。
 間違いなく起きていない。
 起きているふりをしてやり過ごし、もう数分だけと自分に言い聞かせて二度寝を決め込もうとしているものの、寝起きのため発声に真実がにじみ出てしまった、というところか。
 扉を開けて部屋に入る。デリカシーに欠ける行為だと言われるかもしれないが、これはいつものことなのだ。
 ベッドの布団を引っぺがすと、その中身が「ヒョッ」と頓狂な声を上げて身を縮こまらせる。
「起きろって、寝坊するぞ。もうしてるけどな」とベッドの主に言う。
「うぅ……勝手に入んないでよ兄ちゃん……」
 オーマイベッド、と意味不明の言葉を呟きながら、布団を求めてもぞもぞ動いている。
 もともと朝が苦手な妹だが、今日はまた一段とひどい。
 恐らくまた深夜までゲームでもしていたんだろう。そう訊くと、
「惜しい、不正解。やってたんじゃなくて、観てたんだよ。チャコさんの生放送。チャコさん、めっちゃ強いんだもん……ぜんぜん負けないから寝られなくてさ……マジで………しゃ………………」
「『しゃ』ってなんだよ、おい寝るな」

 

 再び眠りにつこうとした妹——刹那を無理やりベッドから引きずり下ろすのも、いつものことだ。