GOLDEN AGE ~追跡屋TAG~

自作の連載小説をあげていきます。

前編

 

 そこは、太陽の光が届かない世界。

 常に蛍光灯のみによって照らされるモノクロームの世界。

 そんな世界の片隅、薄暗い裏路地の道端に、一人の男が壁にもたれて立っていた。

 神をにらみつけてでもいるかのように、乾いた目で虚空を見つめている。

 

「おい張」

 背後から押し殺したような声が聞こえ、男が慌てて振り向くと、そこに立っていたのは情報屋のディックだった。

「ディックか。脅かすな」

 中国訛りの英語で答える。

 気配もなく背後を取られたことに一種の屈辱を感じたものの、ディックは敵ではない。

「悪かった。だが張、緊急事態だ。REVERENCEが嗅ぎ回ってる。クスリの件が漏れたのかもしれない」

「なんだと!?」

 

 この辺りを仕切っているREVERENCEの連中に見つかれば、蚤ほどの温情もかけられずに消されるという自覚はあった。薬物を取り扱うのはそれほどリスクの高い商売だ。もちろん、そのリスクを取ってでも手を染める価値があるからやっているのだが。

 情報漏れには細心の注意を払ってきたつもりだった。しかしディックは信頼のおける情報屋で、この界隈で自分たち中国人が商売をするのに彼との協力関係は欠かせない。

 何しろ、ディック自身がREVERENCE専属のタレコミ屋なのだから。

 長年この辺りに根を張って活動していたのが重用されている理由らしいが、最近火遊びが原因で派手に借金を背負ったらしく、現金をチラつかせたところ簡単に寝返った。おかげでREVERENCEの情報は筒抜けだ。同じように裏切られないよう、この男を信用しすぎるわけにもいかないが。

 

「しかしそれが本当なら、どこから漏れたのか……」

「もしかしたら、客の中にREVERENCEの関係者がいたのかのかもしれない。俺が知らされなかったということは、俺も疑われている可能性がある。張、今すぐ工場へ戻るんだ。俺も同行する」

 ディックは特徴的な垂れた眉を潜めて、深刻そうに言う。

 

 REVERENCEはつい最近、代替わりしたと聞く。創始者でもある先代から頭を引き継いだのは、久遠トコネとかいう、たかだか19歳の女だという。

 そんなガキに何ができると高を括っていたが、最近になってから締め付けが厳しくなったように思う。想像以上に有能な女なのか。忌々しい。

 

「分かった。今すぐ工場の仲間に伝えて先に荷積みをしておいてもらう。だがディック、あんたを連れてくわけにゃいかないぜ」

「頼む、張。もう俺はREVERENCEには戻れない、そちらに入れてくれ。REVERENCEの情報をすべてそちらに流す。無事に逃げ切るために必要な情報なはずだ」

 張は少し考える。確かに、REVERENCEを追われたディックの立場としては、次の依り代がなければこの街で生きていけまい。それにディックの持つ情報網が必要なことも確かだ。

 完全に信用するわけではないが、最悪、用済みになったら口を封じればよいだけの話だ。

「分かった。無事に逃げるまでは仲間だ。ついてこい」

「恩に着る、張」

 

 仲間への連絡を終えて、急ぎ足で仲間のいる工場へと向かう。ディックは少し後ろをついてくる。

「なあ張、一応知っておきたいんだが。あんたらが流してる“ジギー”、ありゃ一体なんなんだ? 使ってる奴の話じゃあ、今までの他のモンとは別物だっていうじゃないか」

 ディックが訊いてくる。

「ああ、あんた知らなかったか。“ジギー”は新型のドラッグだ。レシピは完全極秘。というか俺たちも全部一から作ってるわけじゃあない。材料の一部は上から流れてくる」

「上……アカツキか?」

「是」

 

 アカツキ組はいわば、自分たち中国人のケツモチである経済ヤクザだ。REVERENCEが支配するこのアンダープレートで外部勢力である自分たちが暗躍するのはアカツキにとっては都合がいい。

 薬の密造も、元はと言えばアカツキが持ち掛けてきた話だ。

「でも張、秘密の成分が入ってるとして、実際どんな具合なんだ? 『常習性のない安全なドラッグ』ってのが売り文句のようだが」

「それがこの新型の凄いところだ。こいつは単体では売らねえ。中和剤の“スターダスト”とセット販売なのさ。ジギーでお空の上までトリップした脳味噌が遊覧飛行を終えて戻ってくる時、スターダストはいわば着陸用の車輪の役目を果たす。興奮作用はそのままに、ちゃんと元の滑走路にソフトランディングさせてくれるのさ。尿検査でも引っ掛からないのは当たり前だが、禁断症状も副作用も無くしちまう。それで軽い気持ちで手を出しちまう新規の客が取り込めるって寸法だ。まあ、その分“モノを知らない”一見の客が多くて困るんだがな。お客様は疫病神、だ」

 ジギー&スターダストは最近流通し始めたドラッグだが、地上でもじわじわと人気が出てきている。他国では流れていないらしいので、恐らく日本が発祥の地だ。

「へえ、そりゃ凄いな。でもそれじゃリピーターが増えないんじゃないのか。この商売はヤク浸けにしてなんぼだろ」

「そう思うだろ。実はな、中和剤のスターダストの方がポイントだ。中毒性はないが、依存性が高い。精神薬なんかと同じだ。もっと分かりやすく言えば、後腐れのない行きずりの女とセックスするようなもんだ。それもセックス以上の快感が得られる。今の客は賢いからな、ヤク浸けなんかにするより、そっちの方がよっぽど売れるのさ」

 喋りながら、自分がいつもより饒舌になっていることに気付く。どうもこのディックという男は人から情報を引き出すのが上手い。さすがは腕利きの情報屋ということか。

 

 その時、張のWHD(腕輪型のホログラム式通信デバイス)に通信が入る。ディックからだ。

「張だ」

『張か。いま一人か?』ディックの声。

「いや、ディックといる」

 

 ——あれ?

 

『そいつは偽物だ! 殺せ!』

 張は相手の台詞が終わるのを待たず銃を抜くと、後ろの偽物に向けた。

 しかしディック——偽ディックはいなかった。今まで真後ろにいたのに。

 チクッ。

「阿ッ!」

 指に痛みが走る。針のようなものが刺さった感触だった。

 腕を振り回しながら振り向くと、偽ディックがいつの間にか後ろに回っていた。

「あの馬鹿、チクりやがったな。俺を殺しててめえの裏切りも闇に葬ろうってか、舐められたもんだ」

 偽ディックはそう言うと口を歪め、本人が決してしないであろう不吉な笑みを浮かべた。

「“ジギー”に“スターダスト”ねえ。ダメだろう、そんなもん売っちゃあ。ただでさえ馬鹿な奴らがさらにバカになる」

 張が銃を向けているのに、まるで意に介していない。

「ペラペラ喋ってくれてありがとよ。てめえはこの稼業に向いてねえな。まあどのみち今日で引退だ。楽しめよ余生を……あればの話だが」

 張が引き金を引く。しかし弾は当たらない。

 偽ディックは目にもとまらぬ素早さで動くと、脇の建物の庇に登り、またたく間に塀の向こうに姿を消した。およそ人間とは思えない身のこなしだった。

 いったい何者だったのか。

 分からないが、とてもまずい事態であることは確実だ。

 男が消えていった先を覗くが、もう誰もいない。

 

「おいディック、今のは誰だ。お前そっくりな顔でお前のフリをしていた。どういうことだ?」

『追跡屋だ。お前も噂くらい聞いたことがあるだろう。俺も奴に脅されてお前のことを喋ったが、こうして教えてやったんだ、恨むなよ。相手にするには厄介な奴らだ、今はまずモノを持って逃げるんだ。まさか場所は教えてないだろ?』

「ちっ。ああ、場所は言ってない。どのみち移動しようと仲間に連絡はしてあるんだ、すぐに戻って場所を移すさ」

 また連絡しろ、と言って通信を切る。

 先ほど何かを刺された箇所を見る。右手の薬指だ。何か細いものが刺さっているようだが、とても抜き取ることはできそうにない。

 もし毒だったら。

 今すぐなんとかしなければ危ないかもしれない。

「くそっ」

 張は呪いの言葉を吐き捨てると、一振りのナイフを取り出した。指を縛っている暇はない。

 薬指の根元に刃を置くと、思い切り力を込める。

「ぐおおああっ」

 獣のような雄叫びが自分の喉から漏れだす。相当な痛みだ。痛みは得意な方だが、さすがに涙がにじむ。

「追跡屋、だと……いつか殺してやるぞ」

 肩で息をしながら、右手から離れた自分の薬指をハンカチで包んでポケットに入れる。処置が早ければ繋がるだろう。

 痛みで全身が思うように動かないが、そうも言ってられない。

 

 仲間に再び連絡を入れて、注意を喚起する。追跡屋の男が狙っていること、ディックの変装をしているかもしれないこと。

 連絡を終えて工場の方向に進んでいると、通りがかりの男が、張の血まみれの右手を見て驚いて話しかけてきた。

「おいあんた、大丈夫か? 怪我してるぞ」

「黙れ、寄るな。殺すぞ」

 そう凄んでみるが、男はそれでも心配そうに近づいてきた。

「私は医者だ。その血の量はまずい、どれ見せてみろ」

 医者か、ならば少し見てもらうか……

 そう考えた次の瞬間、張の視界はぐるりと回転した。世界がひっくり返り、地面がぶつかってきた。

 衝撃の後、気が付くと張は地面に倒れて空を仰いでいた。

 

 ——何が起こった!?

 

「こんなところに都合よく医者がいるか、馬鹿。あーあ、指切っちまうとは、親からもらった体をみだりに傷つけるもんじゃねえぜ。でも残念だったな、発信機付きの指を持ち歩いてたら意味がねえ」

 そう言って張を見下ろしている男は、いつの間にか張の銃をその手に握っていた。

 やられた。

 ものすごい力で蹴られたのか、足が思うように動かない。

 銃も奪われ、もはや為す術はなかった。

 

「お前……追跡屋か!」

「よくご存知で。今後ともご贔屓に」