GOLDEN AGE ~追跡屋TAG~

自作の連載小説をあげていきます。

021 柏木という男

 説明を聞いてアネサンボスはしばらく黙っていたが、
「いくつか質問するぞ。一つ目、イツキはどこに行った?」と訊いてきた。
「さあ。別の男に追いかけられて、トンネルから出て行った。その後の行方は知らない」
「二つ目。事故のニュースはさっきアタシも見た。あれが殺しだっていうなら、親御さんが狙われる心当たりは?」
「ない。父さんも母さんもただの科学者だよ。狙われる理由なんてない」
 翼斗の脳裏に一瞬、金庫に入っていたアンプルのことが浮かんだ。
「ふうん。じゃあ三つ目、その追っ手の男は自分のことを何か言ってたか?」
「いや、言ってなかったと思う。ただ」
「ただ、なんだ?」
「イツキに、『追われてるならWHDを外せ』って言われたんだ。でも仮にWHDの位置を追跡されたんだとして、そんなことが普通の人とか組織にできるものなのかなって」

 WHDによって位置が知られたと決まったわけではないが、いわば逃亡のプロであるイツキがそう言ったのだから、その可能性は十分にあると考えてよいだろう。
 そして同じ裏社会に生きる彼女らであれば、何か心当たりがあるかもしれない。

「あん? そんなもん誰にだって出来るだろ。普通に出回ってるWHDならな」
「え?」
 呆れたようなアネサンボスの言葉に、翼斗は耳を疑った。
「ハッキングの基礎さえ知ってりゃ楽勝だ。うちだって当然出来るぜ」
「………」
 翼斗は愕然とし、そして自分の無知を恥じた。
 そんなに簡単なことだったとは。もしそのことを知っていれば。知らなくても思い当っていれば。WHDを早く外していれば。
「じゃあ最後の質問だ」
「……はい」

「その鞄には何が入ってる?」
「えっ?」

 翼斗はその質問に、一瞬体を固まらせた。過剰に反応してしまった。
「いや、普通に、着替えとか色々だよ」
 誤魔化そうと平静を装ったつもりが、腐った大根のような演技になった。アネサンボスの眼差しは、完全に翼斗を疑っていた。
「バレバレだっての。ずっとその鞄を気にしてたろ。その感じだと結構な重量のあるもんが入ってるな? いいか、あたしに隠し事なんて百年早いんだよ、この間抜け」
 アネサンボスがシュノーと陸に目配せした。
 二人が素早く動き、翼斗を押さえつけた。鞄を開けて中身を取り出そうとする。
 抵抗するが、二人の力は凄まじく、身動き一つできそうにない。腕力で押さえつけられるのは果たして今日何度目だろう。二重の無力感を味わう。
「やめてくれ! ちゃんと見せるから!」
 アンプルを持って行かれたら、すべての糸が切れてしまう気がした。敵の正体に繋がる糸も、両親が残してくれた理由も。
「なんだこりゃ、金庫か?」
 シュノーが鞄の中を覗いて言う。その時、

「その辺にしておけ、お前たち」
 上から男の声が聞こえた。初めて聞く声だった。

「トコネ、話は聞いていた。この件は私に引き取らせてくれ」
 見上げると、二階部分に、初老の男が立っていた。今までどこにいたのだろう。まったく気配を感じなかった。
「じい、いたのかよ。引き取るってどういうことだ?」
 トコネ、と呼ばれたアネサンボスがそう訊くと、初老の男はゆっくりと階段を降りてきた。
 銀髪で、年齢は50から60くらいに見える。背筋をぴんと張って白のスーツを着こなすその姿は、下層に不似合いな気品と風格を漂わせていた。

 シルバー。この年代の人を指して、そういう呼び方をする場合がある。翼斗がその男にその表現を連想したのは、その髪色のせいだけでなく、彼の周囲に漂っている灰色の霧が視えたからだった。
 薄暗い灰色。木を燻した時のような、煙のような色。
 なかなか見ることのない、珍しい色だった。

「ヒイラギヨクト」
 翼斗はぎょっとした。初老の男がいきなり、翼斗をフルネームで呼んだのだ。
 射貫くような眼差しを、まっすぐ翼斗に向けている。
 ここに来てから、名乗ってはいないはずだ。
「何で俺の名前を……」
「君の両親とは旧知の間柄でね。先ほどニュースを聞いて驚いた。本当に残念だ」
 そう男は言った。

 父と母が、この男と知り合い?

「じい、どういうことだ?」アネサンボスが、焦れたように訊き直す。
「どうもこうも、今言った通りだ。この子の亡くなった両親は私の知り合い、というよりも恩人に近い存在だった。せめて下層に逃げ延びてきた息子の面倒くらいは私が見てやりたい。それにトコネ、お前今は忙しいんじゃないのか? ディックの件の後始末が残ってるはずだが」
 アネサンボス、改めトコネは、そう言われてむくれたような顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
 トコネがボスだとしたら、男はそれと同じか、より上の立場の人間だろうか。少なくとも、この場にいる人間からは信頼され、尊重されているようだった。
 シュノーと陸がトコネの様子を見て、翼斗を解放する。
「父さんたちと知り合いだって? あんた一体……」
「なめた口聞くんじゃねえ、ガキ。先代のボスだ」
 そう言ってシュノーが翼斗の頭を小突く。
 先ほど肩を強く押さえつけられていたせいで、まだ肩にも痛みが残っていた。翼斗はシュノーをにらみつけたが、シュノーは翼斗を見もしない。
 しかし、それを聞いて納得した。
 先代のボスという肩書きが、その男にはしっくりくる。
 だとすると、両親とREVERENCEの先代のボスとの間に、どういう繋がりあるというのか。翼斗を知っているということは、どこかで会ったことがあるのか。
「悪の組織じゃあるまいし、ボスはやめろというのに。私は柏木という。翼斗くん、話はあとにしよう。まずは……」
 柏木と名乗ったその男は、翼斗の肩に目を移した。

「その子を弔ってあげるんだ。丁重に」