GOLDEN AGE ~追跡屋TAG~

自作の連載小説をあげていきます。

006 依頼②

 

「父が最後に言ったんです、『中身はいざという時まで使うな』って。それってもしかして、いざという時は使えって意味だったのかなと思って。それにあの時は他に方法もなかったし、どうせ捕まるならと……」
 自分で言っていて、あの時は本当にどうかしていたと、つくづく思う。
 あんなことをしなければ、あるいは。
「俺だったら自殺用の毒薬かと疑うがな。で、それで超能力が目覚めたってか?」
 鬼灯は茶化すようなことを言ったが、あながち外れてもいなかったので、翼斗はそれからの展開を説明した。
 色視について説明すると、璃々が「それって共感覚ってやつじゃない?」と言った。
共感覚?」
「うん、前にネットで見ただけなんだけどね。シナスタジアともいうんだっけ。芸術家とかに多いらしくて、たとえば数字を見て色を連想するとか、音楽を聞いて風景を思い浮かべるとか。五感の神経って普通はそれぞれ経路が分かれてるんだけど、共感覚を持ってる人はそれが繋がってて、そういう現象が起こるんだって」
 共感覚という言葉は翼斗も初耳だった。
 璃々の話は、翼斗が色を視る現象とかなり近いように思える。しかし脳科学者である父と母なら当然知っていたはずだが、そんなことを言われたことはなかった。
「で、その共感覚とやらが、アンプルを打ったら強まった、と?」
 鬼灯が如何わしいものを見る顔で翼斗を見て言う。
「まあ、そうです。その時は色だけじゃなくて、相手の考えが直感的に分かったんです。相手が本気で弾を当てるつもりなのか、どこを狙っているのか、いつ引き金を引くのか」
 ほお、と鬼灯が煙を吐き出す。
「今もまだその、ビンビンの状態なのか?」
「ビンビンって……あの時ほどじゃないですけど、集中すれば同じようなことが出来ると思います。少なくとも鬼灯さん、あなたに信じてもらえる程度のことなら」
「あん?」鬼灯が眉をひそめる。
 鬼灯は明らかに信じていなかった。極限状態に陥った人間が幻覚を見た、くらいに思っているに違いない。ならば信じさせてやるしかない。
「たとえば最初、璃々さんやコヨリさんに会った時はオレンジ色が強く見えました。オレンジは警戒を表す色です。でもイタズラする時は黄色が強くなりました。黄色は好奇心とか期待とか、そういう色です」
 おお、と璃々とコヨリが色めき立つ。
「そんなもん、後付けでいくらでも言えるだろうが」
「それが鬼灯さん、あなたにはほとんど色が視えないんですよ。まるで感情を殺してるみたいにね。でもさっき、イツキの話が出た時に濃い赤色が視えました。とても強い怒りの色です。あなたは無表情でしたけど、内心ではイツキに対して怒りの感情を抱いていた。違いますか」
 鬼灯の顔色が変わった。警戒のオレンジ色だ。
 ここで畳みかける。
「……なるほどな。色については分かった。しかし先読みってのは」
「煙草」
 鬼灯が煙草を取り出そうと手を動かすのと同時に翼斗が短く呟くと、驚いたように手を止め、「ちっ」と小さく舌打ちをした。
 璃々がおおー、と手品でも見たように拍手をしている。
 鬼灯は頭をポリポリ掻いていたが、翼斗に向き直ると、
「もういい、分かった。もう読むんじゃねえぞ。依頼は受けてやる」そう言った。
 上手くいった。翼斗は内心ガッツポーズをする。正直、まだ相手の思考を読めるかは未知数だったのだが、賭けに勝った。
「えー、もっと聞きたい。カナメ、読まれたらまずいことでも考えてるの?」と璃々が冷やかす。
「ああ、たとえばお前の今日の下着の色を予想したりとかな。どうせ色気のねえ白だろうって思ってたのを読まれたら面倒だ。で、依頼の件だが」
 璃々のパンチをかわしながら鬼灯は続ける。
「柏木のオッサンに聞いたなら分かってると思うが、うちの仕事は『依頼の品を見つける』ことだ。今回でいえば、その男に関する情報を手に入れること。そいつを捕まえるまでは含まれねえ」
「ええ、それで大丈夫です」是非もなかった。
「よし。じゃあ依頼内容は、柊翼斗の妹を殺害した実行犯の特定および依頼元の調査ってところか。期限はまあ、三日でいいだろ」
 翼斗はほっと息をついた。
 って。
「三日!?」
 うっかり聞き逃すところだった。手がかりもろくに無い状態で、そんなスピード解決ができるとは思えない。
「こういうのは、時間かけりゃいいってもんじゃねえ。どんな仕事だってそうだろうが。できる奴ほど期限設定がシビアで、その通りに実行する。それとも三日じゃ遅いってか?」
 ものすごい自信である。しかし鬼灯は本気でそう言っており、そして不思議な説得力があった。
「いえ、そんなに早く結果が出るなら、ありがたいです。ただ……」翼斗は言い淀む。
「ああ、依頼料だろ。これからその話をする」
 そう。先立つものは金である。それは地上も下層も変わらない。
 一応、家にあった少しばかりの現金は持ってきたが、このような危ない仕事の報酬金額としては手付金にもならない額だった。WHDを捨ててしまった以上、クレジットで支払うのも難しい。
 だから翼斗は、たとえばここで下働きをするとか、そういう原始的な方法で支払うしかないと考えていた。無茶だということは重々承知だが、それでも何とか説得するしかないと、覚悟を決めていた。
「お前の生涯年収の半分。一億五千万でいい」
「ぷえっ」変な声が出た。
 無理すぎる。
「やめなさいよもう」と璃々が鬼灯に突っ込む。「ヨックンがそんなに稼げる保証はないでしょ」
 違う、その突っ込みは何か違う。というかヨックンって誰。
「しょうがねえな」と鬼灯が再提示した依頼料には、最初少し拍子抜けというか、え、そんなんでいいの?という感想を抱いた。
「そのアンプルを渡せ。別に使ったり売り飛ばそうってわけじゃねえ、中身をちょっと借りるだけだ」
「え? 借りるって……それはいいですけど、どうするつもりですか?」
 こんなものどうしようというのだろう。
「匂うんだよ。別に異臭がするって意味じゃねえぞ。まあ何だ、それに関しちゃこっちの事情だよ。それにお前、金なんて持ってないだろうが。まさか働いて返すとか言うつもりじゃねえよな」
 だとしたらかなり気合の入った馬鹿だぜ、と笑う。馬鹿とは失敬な。
 アンプルの入った金庫ごと鬼灯に渡す。
 唯一残された手がかりではあるが、ここまで来て彼らを疑う気にはなれなかった。
 レコードはいつの間にか止まっていた。
「本当に、これだけでいいんですか? あの男を見つけてくれるんですか?」
 最後の確認をする。
「ああ。契約成立だ」
 よかった。
 これでようやく反転攻勢に出れる。前に、進める。

 

005 依頼①

 

 鬼灯は、交通事故のニュースについては知らなかった。
「しょうがねえだろ、さっき起きたばかりなんだから」
 そう言い訳をするが、「また遅くまで飲んでたんでしょ」と璃々に指摘される。
 どうやら翼斗が璃々とこの事務所を訪れた時には鬼灯はまだ寝ており、翼斗が気を失っている間にコヨリに叩き起こされたらしい。

 クラシック曲は徐々に盛り上がりを見せていた。軽快なテンポの、聞いたことのあるメロディだった。
 翼斗はマグカップを持ち上げ、しかし口にはつけずにテーブルに戻す。

 飲みづらい……。

 翼斗に出されたのはコーヒーではなくカプチーノだった。それはいいのだが、表面のフォームミルクに、ラテアートが施されていた。
 般若面の。
 それもかなり精密でリアルな。怖いくらいに上手い。というか怖い。
 般若が好きなのだろうか?
 鬼……鬼灯。それにTAGとは確か、「鬼ごっこ」という意味もあったはずだ。もしかしたら、事務所のマスコットキャラクター的なものなのかもしれない。
 あまりによく出来ているため飲みづらいのと、ずっと般若ににらまれているのも気味が悪いので早く飲んでしまいたいという気持ちの間で揺れ、結局口をつけられずにいると、「璃々、おかわり」と鬼灯が空のコーヒーカップを璃々に差し出す。どうやら般若がいるのは翼斗のカップ限定のようだ。
 はーい、と璃々が再びキッチンへ向かい、コヨリが後に従う。

「で?その正体不明の追っ手とやらに追い詰められたのは分かったが、どうやって逃げ延びた?」と鬼灯が先を促す。
「あ、はい。さっき話した、搬入ターミナルから僕らをトンネルに入れてくれた作業員なんですけど、この人が……鬼灯さん、イツキって知ってますか?」

 その名前を出した途端、鬼灯の気配が変わった。
 表情は変わっていない。しかし、それまで色らしい色をまったく見せなかった男の顔に、血が燃えているような、ドス黒い赤色の霧が生じていた。
 翼斗は、その尋常ではない気配に一瞬、身がすくんだ。
 そこでふと記憶が蘇る。
 刹那が撃たれた時。翼斗が我を失っている間、同じくらい強い赤色に支配されていたような気がする。だとすると、あの時の翼斗と同じくらい強い怒りを、この男は感じているのだろうか。
 鬼灯とイツキの関係が、単なる興味の対象とか、顔見知りという程度のものではないことは明らかだった。

「……お前が言ってるのは、あのイツキか?」
 鬼灯がそう口を開いた時には、不穏な気配は消えていた。
「ええ、そのイツキです。世間を騒がせている連続自殺犯。その作業員が、実はイツキだったんです」
「そいつは確かなのか」
「ええ。別に証拠があるわけではないですけど、本物だと思います。ただまあ、色々あったんですが、イツキがその場をかき乱したおかげで結果的に僕は助かったんでしょう……僕だけは」
 鬼灯はじっと何かを考えているようだった。
「でも、両親の件や追っ手の男とイツキは関係ないと思います。本人がそう言ってたってのもありますけど、そもそも彼に声かけたのはこちらからだし、ただの偶然だと。そういえば、イツキを追っかけていったあの人は誰だったのかな。いきなり現れて、やたらいかつい銃でイツキを撃ちまくってたんですけど」
「ああ、そりゃ式だな」3本目の煙草に火をつけながら、鬼灯が言った。
「シキ?」
「知り合いだ。イツキ専門のハンターみたいなもんだ。気にしなくていい」
 気にするなと言われても。
 まさかあの男にまで知り合いだとは、世間も狭いものだ。それにしても、登場人物ばかり増えて人物相関図がまったく提示されないので、どこか気持ちが悪い。

 そこに璃々とコヨリが鬼灯のコーヒーのお代わりを持って戻って来た。
「おう」とカップを受け取り、鬼灯が口をつける。
 ばふっ。
 無表情のまま噴き出した。
 やはりというか、わざわざ二人で行った時点で疑うべきだろう。
 注意力が足りないのだ。
「璃々、コヨリ。これはコーヒーじゃなくて醤油だ、今後は間違うな」
 口から醤油をぽたぽた垂らしながら、鬼灯がカップを璃々に返す。
「あら、色が似てるから間違えちゃったよ。意外と騙されるもんだね、コヨリン」
「うん」
「せめて間違えた設定を貫けよ」
 鬼灯は口を拭きながら、「なんてことはない」とアピールするかのように、あくまで済ました顔を貫いている。それを見てコヨリはむむ、という顔をした。
 驚いてはいけない選手権でもやっているのか。
 璃々は話を聞きたいと言っていた割に全然聞いていないんじゃないかという気もしたが、それは別にいいのだが、こちらを巻き込むのだけはやめてほしい。

「イツキの件は分かった。それでお前は助かったが、妹がお前を庇って弾を食らったと。確かに救いのねえ話だ。それから下に降りて、REVERENCEに捕まり、柏木のおっさんに聞いてここに来たってわけだ」
「まあ、そういう感じです。それで、ここからが依頼なんですけど」
 鬼灯が手をかざして制止する。
「焦んなよ。まだ肝心なところを聞いてねえ」
「肝心なところ?」
「お前ら一家が狙われた理由だよ。それが一番重要な手掛かりだ。思い当たるフシは?」
 確かに、それについてはまだ話していなかった。話せることがなかったからだ。
「さっきも言った通り、うちの両親はただの研究者です。理化学研究センターの、脳科学研究室ってところに所属してます……ました。人に恨まれるような仕事じゃないのは確かです」
 理化学研究センターねえ、と鬼灯は煙を吐く。そこが引っ掛かる、とでも言いたげに。
「ただ、これも何の確証もないんですけど……」
 翼斗はバッグから金庫を取り出した。
 やはりこれについて説明をしないことには始まらない。そんな気がした。
「小せえな。何が入ってる」
「父から、逃げる時にこの金庫を持ち出すように言われたんです。開けたら中にこんなものが入っていて」と、アンプルを出して並べる。使用済みで空になった2番と、3番から5番の計4本。追っ手の男にバッグごと思い切りぶつけた気がするが、割れていなくて良かった。
「何かの薬品、みたいだね。1番がないけど」
 璃々が興味深そうに手に取って眺める。
「中身が何かは分かりません。相手がそれを狙っているのかどうかも、父がなぜこれを持って逃げろと言ったのかも。でもトンネルで追っ手に銃を向けられた時、この2番を使ったんです」
 そう言って翼斗は2番のアンプルを手に取った。
「使ったって、自分に注射したってこと!?」璃々が驚き、ええーと声を上げる。
「中身も分からないのに、なんでそんな危ないことを?」
 いや、あなたのパチンコ弾の方が危なかったですけど。

 

004 鬼灯鹿目

 

 うちの娘、と呼ばれた少女は、男が隣にいるためか、先ほどよりは警戒を解いたようだった。
 改めて見ると、刹那とその少女が別人であることはすぐに分かった。髪の長さが違うのだ。刹那は肩下まで伸ばしていたが、その少女は肩までもないボブカットだった。切ったと言われればそれまでだが。
 しかし顔は本当にそっくりである。年齢も恐らく同じくらいだろう。
「あの、あなたが追跡屋ですか? 娘さんの件はその、謝ります。別にそういうつもりじゃなかったんですけど」
 謝りながら、その男を観察する。

 掴みどころのない男だった。
 常に相手をにらみつけているような油断のない眼差し。
 精悍だがどこか厭世的でもあり、無気力に見えるが所作には無駄がない。
 白いシャツに黒のパンツ、黒の革靴。オーソドックスな服装なのに、その男が着ていると、“色”を無益なものと断じているかのように見える。
 歳20代半ばくらいだと思うが、もっと若いかもしれないし、30を過ぎているかもしれない。
 醸し出す雰囲気は、他のこれまで下層で会ってきた人たちと比べても遜色のないほどに怪しかった。不審で、いかがわしかった。
 少なくとも年相応のそれではない……「娘」?
 男はニヤニヤしながら翼斗を見ていた。
「娘ってのは嘘でしょう」翼斗は指摘した。
 刹那に瓜二つの少女は、仮に同じ年齢だとしたら15歳。30やそこらの男の子供の年齢ではない。特別な事情でもあれば別だが。
「本気で信じたのかと思って焦ったぜ。俺はそんなに老けて見えるかね?」
「まあ、わりと」
 突然横から声が割り込んできた。声の主は少女——コヨリだった。
 男がじっとコヨリを見るが、コヨリは目を逸らす。璃々が「うん、老けてる」と追い打ちをかけた。
 思わぬ横やりを食らった男は、ため息をついて短くなった煙草をもみ消した。

「無駄話はこの辺にしとくか。聞かせろよ」
「え?」
「依頼があって来たんだろ。受けるかどうかは聞いてから判断する」

 そう言うと男は席を立ち、棚の引き出しを開けると、ガサゴソ中を探り出した。そして黒くて薄い円盤のようなものを取り出すと、テーブルの側面についている観音開きの扉を開けた。そこには丸い台が乗っていた。男は台に自分が持ってきた円盤を置くと、何かの操作をして引き出しを戻す。
 すると、少し間をおいて、テーブルから音が流れ始めた。
 クラシック曲のようだが、翼斗はクラシックを聴かないので曲名は分からない。柔らかいメロディの曲だった。
「今どきのガキはレコードなんて知らねえか」
 そう言われて、翼斗はそれがレコードという音楽再生機器であることを知った。実物を見たのは初めてだった。レコード内蔵のテーブルなんて、どこに売ってるのだろう。
「いつまでも床に転がってねえで、座れよ。そこが気に入ってんなら別にいいが」
 男に促され、翼斗は向かいの椅子に座ることにした。座布団の上に腰を下ろす。

 ぶぅっ

 椅子に体重を預けた瞬間、尻のあたりから、オナラのような音が出た。
「わっ!」反射的に飛び上がる。
「発案コヨリン、製作者わたし、名付けて芳香クッション。いい香りでしょ?」
 璃々が得意げにそう言うと、何やら芳しい香りが漂ってきた。
「……ブーブークッション?」
「違うよ。そのクッションの上に座ると内部のカプセルが破れて、香り成分が噴射される仕組みなの。お客さんを楽しませつつ、香りで癒しの空間を提供しようというおもてなし精神だよ。ちなみに今回はレモンウッドにしてみました」
 璃々は楽しそうに続けるが、ただ悪戯を楽しんでいるようにしか見えない。
「楽しいっていうか普通にびっくりしましたけど……さっきの般若といい」
「ああ、あれはね、眼鏡の裏に貼るとちょうどピントが合ってその絵が見えるようにした3Dシールだよ。本当に目の前にいるみたいで凄かったでしょ」
「いやいや、起きていきなり般若が目の前にいたら怖いですって」
「そんなもん、ちゃんと注意してればニセモンだって分かるだろ。初めての場所ではもっと緊張感を持ってだな」
 男が馬鹿にするように言いながら、次の煙草に火をつける。

 ばちっ。

 何か硬いものを弾いたような音がした。
「ごわっ!」男が反射的に飛び跳ねる。
「発案コヨリン、製作者わたし……名付けて神の雷、『ミョルニル』」
 璃々がものものしく、呪文のように呟いた。コヨリは満足げな顔をしている。
「何度か押すと電流が走るようにライターを改造しておきました。紙煙草ばっかり吸ってると健康に悪いから、これで禁煙にトライしてください。ちなみにもひとつ、『ヴァジュラ』ってのもあってね」
「煙草より健康に悪いだろうが! 人のライター勝手に改造すんじゃねえよ、ったく」
 ソファからずり落ちた状態で悪態をつくと、男はばつが悪そうに立ち上がった。
「注意してれば気付くはずでは?」と言ってみる。
「んなわけねえだろ。とっとと用件を言いやがれ」
 不機嫌そうに言いながら、男は性懲りもなく、ミョルニルで煙草に火を点けた。感電のリスクより煙草の方が大事らしい。
「わたしも聞きたいな。ちょっとコーヒー淹れてくるね」
 璃々がそう言って席を立ち、奥の部屋へと向かう。
「わたしも」と、コヨリも後をついて行った。
 ドッキリコーナーがようやくひと段落したらしい。翼斗は安堵した。

 ひとまず、コヨリという少女の件については置いておくことにした。こちらの事情を説明しないうちに騒ぎ立てたところで、取り合ってもらえないだろう。
「先に名乗っておくぜ」
 そう男は言い、名刺を指で弾いた。紙の名刺というのも、本物を見るのは初めてだ。名刺には、シンプルにデザインされた「TAG」という文字と、名前だけが書いてある。

 鬼灯鹿目。

「鬼灯さんですね。僕は柊翼斗といいます。ここには、REVERENCEの柏木さんという人に紹介されて来ました。依頼したものを何でも見つけてくれると……もしかして、鬼灯さん一人でやってるんですか?」
「俺とコヨリの共同経営ってとこだ。少数精鋭でね」
 その物言いに、少し不安を覚える。
 あの少女と二人で少数精鋭って……保険会社の言う『お客様の笑顔のために』とか、居酒屋の求人広告にある『アットホームな職場です』と同じくらいのうさん臭さがある。
 しかし信じるしかない。今打てる手は他にはないのだ。
「で、依頼は?」
 翼斗は覚悟を決め、結論から切り出すことにした。

「……妹を殺した男を、見つけ出してほしいんです」

 後から思えば、まさにこの瞬間であった。
 核の災禍による悲しみや絶望を覆い隠すかのように日本の中心に鎮座している、東京スカイポリスタワービル。
 その巨大な慰霊碑に埋もれ秘匿された謎を追跡する、長い旅が始まったのは。

 

003 コヨリという少女

 

 裏口を出て真っ直ぐ進むと、八百萬ジャンク・ショップと同じ敷地内に古い平屋が建っていた。周囲は背の高い塀で囲まれている。
「さて、ここから入るよ」
 そう言って璃々は平屋の扉を開けた。
 小上がりのついた玄関である。そこからいくつかの部屋に繋がっているようだが、事務所然とした感じはなく、普通の住宅の間取りだった。
 どう見ても、ただの住居にしか見えない。確かにこれでは誰もここに事務所があるとは思わないだろう。
「いや、ここはただの住居だよ」
「え」
 璃々は玄関の壁の一部分に手の平をつけた。
 すると。
 音もなく壁が開いた。隠し戸だ。中には地下へと続く階段が見える。
「すごいでしょ、静脈認証付きのばっちりセキュリティ。地下室は元々この家にあったんだけど、このシステムは私が作ったの」
 これには翼斗も面食らった。
「外にトラップも仕掛けてあるから気を付けてね。いま歩いてきた場所以外は行っちゃだめだよ」
 物騒なことをさらっと言いながら、スタスタと階段を降りていく。
 隠し通路にトラップって……忍者屋敷かよ。
 何重にも張り巡らされたセキュリティ。そこまでしなければならないほど恨みを買っているのだろうか。
「うぃっすー。お客さん連れてきたよー」
 先に階段を降りた璃々が、軽い調子で挨拶をしながら部屋に入っていった。
 翼斗も後に続いて入る。
 中は、古い探偵小説によく出てきそうな、いわゆる応接室だった。
 打ちっぱなしのコンクリート床に、大きなデスクにワークチェア。手前にマホガニーのローテーブルと黒い革張りのソファ。どれもそんなに高級そうなものではないが、何十年も使い込んだような味わいがある。また壁側のチェストの上には、さすがに飾り物だろうが、骨董的価値がありそうな古い黒電話や、これまたアンティークな造形の時計や天球儀が置いてあった。
 REVERENCEの煌びやかな内装と違い、落ち着いたクラシックな雰囲気の部屋である。
 しかし翼斗の目には、それらの一切が入っていなかった。
 もっと驚くべきものが映っていたからだ。それも、天地がひっくり返るほどに。
 とうとう自分の頭がおかしくなったのかと、本気で疑った。
「ハロー、コヨリン。いま一人?」
 少女が一人、ソファに座ってゲームをしていた。
 璃々の呼びかけに顔を上げたその少女は、刹那と瓜二つだった。

 ここに来て、これほど心を揺さぶられるとは予想していなかった。
 びっくり仰天の最高記録が更新された。混乱と混沌。
 他人の空似、というには余りにも、似過ぎている。生き写しだった。

 ――本人?(そんなわけないだろ)
 ――まさか生き返って(漫画じゃあるまいし)
 ――大がかりなドッキリか(誰が喜ぶんだよ)
 ――ドッペルゲンガーとか(アホか)
 ――ついに幻覚が(それはやばいな)
 ――だってこんなこと(刹那は死んだ)
 ――あり得ない。

「おおい、どしたー。コヨリン怖がってるじゃん」
 璃々の声で我に返った。
 気付くとコヨリと呼ばれた少女は、璃々の背後に回り、警戒心をあらわにした眼差しでこちらを覗いていた。
 驚きのあまり凝視しすぎてしまったか。
 でもそれは仕方がないだろう。信じられないことは昨日から何度も起こっているが、《《これ》》は輪をかけて信じられない。
 翼斗はまた少女の顔を食い入るように見つめていた。
 璃々が何か言っているが、耳に入らない。
 自分の心臓の鼓動がうるさい。
 呼吸が上手くできない。
 顔が燃えるように熱い。
 ん?
 あれ、なんかまずい――
 …………。

「あっ」璃々が声を上げた。
 視界がぐるりと回転するのを、しかし翼斗本人はすでに感じていなかった。

 人生初の気絶だった。

 ほんやりとした世界で、声だけが聴こえていた。
 何を言っているかまでは聞き取れない。
 女の声と、男の声。たまに少女の声。
 黄緑色。黄色。オレンジ色。
 早く目を覚まさなければ。
 しかしどこか、このままここにいたい、と思っている自分もいた。
 戻ると現実が待っている。恐ろしい現実が。
 受け入れ難い、得体の知れない現実に飲み込まれてしまう。
 戻りたくない。でも戻らなきゃ。
 徐々に、声が具体的な形を帯び始める。
 ――ちょっと、やめときなよ。
 ――かまわねえよ、やっちまえ。
 ――らじゃあ。
 翼斗のすぐ近くで、誰かが何かをしている。ごそごそと音がする。
 そうだ、誰かに何かを頼むためにここに来たんだった。
 起きなくちゃ。

 翼斗が目を開けると、目の前数センチの距離に、般若《はんにゃ》がいた。

「ぶるあっ!?」
 飛び起きた。というより、転げ落ちた。
(何だ!?)(何で般若!?)(敵か!?)
 なんとか体勢を整えようとしたが上手くいかず、ドタバタと喜劇めいた動きになりながら、顔だけで振り向く。
 翼斗が横たわっていたソファに眼鏡が落ちていた。
 内側のグラスの部分に何か貼ってある……シール?
「ああ、私の眼鏡」
 璃々が慌てて眼鏡を拾う。
「どうよ、コヨリ」
「まあまあ」
 男と少女の声。
 そちらに視線をやると、若い男と、コヨリと呼ばれた少女が並んで立っていた。
 翼斗は何がなんだか分からず、しばらく口を開けたまま二人を見つめて固まっていた。
「あーあ、かわいそーに。目が覚めた瞬間にまた気失ったらどうすんのよ」
 璃々が、少し笑いを含んだ口調で二人に言う。
 男は「コヨリがどうしてもって言うから」と嘯くと、少女は「言ってない」と返した。
「ちょっと待って。待ってくれ。整理させてください。ええと、あんたたちは……」
「5時間もグースカ寝といて、今さら慌てんなよ」
 男はそう言うと、翼斗がそれまで横たわっていたソファにどかっと腰を下ろした。少女も隣に座る。
「5時間!?」
 そんなに長い時間、気を失っていたのか。蓄積した疲労が限界を超えて、気絶のついでに睡眠へと移行したのかもしれない。
 男が胸ポケットから煙草を取り出して咥え、火を点ける。翼斗は紙の煙草を吸っている人を見るのは初めてだった。
「うちの娘をじろじろと舐めまわすように見てくれたって?」
 男が細い煙を吐きながら言った。

 

002 八百萬ジャンク・ショップ②

 

「あの、誤解です。ポケットに手を入れたのは武器じゃなくてメモを取るためで。柏木さんに描いてもらった地図です。それを見てここまで来たんですよ」
「地図?」
「ええ、地図。地図とは思えないですが地図」
「ふぅん? じゃあ君、ゆっくり、その手を出しなさい。素早く動いたら撃っちゃうわよ。イッパツだよ」
 分かりました、と答えて、ゆっくりと手を抜く。

 ばしゅん。

 翼斗の耳を、何かがかすめた。
 反射的に手を当てる。すれすれで外れたようで、耳は無事だった。
「な、なに撃ってんですか! 言われた通りにしたでしょ!?」
 女性店員は、撃った反動でひっくり返っていた。
「ごめん、手が滑った……意外と握力いるのね、これ」

 危険すぎる。

 大口をたたいておきながらあの距離で外すのもどうかと思うが、しかし外れていなかったら、今ごろ翼斗は昏倒していただろう。イッパツで。
 いや、果たして昏倒で済んだだろうか。連射が効かないどころか、撃った反動で本人がひっくり返るほどの威力である。
 恐る恐る振り返ると、店の前の地面に、遠目にも分かるほどの穴が空いて土埃が舞っていた。
「象でも死ぬわ!」
「うーん、調整ミスったかな? 失敗失敗。まあまあ、それで、それが柏木さんの描いた地図ってやつかな?」
 カウンターに上半身をもたれた姿勢で、翼斗が持っている紙切れを指差した。
「殺人未遂を誤魔化さないでください……ええ、これがそうですよ。信用してくれますか?」
 地図を店員に渡す。彼女は軽く地図に目を通すと、
「ん。おお、これは確かに柏木さんの描いたものだね。疑ってごめんよ」
 あいむそーりぃ、と先ほどまでの警戒が嘘のように朗らかに笑う。
 簡単に信じてくれたようだが、どこかに柏木の署名でもあっただろうか。
「いや、この芸術的なヘタさは他人には再現不可能だからね。筆跡なんかよりよっぽど信用できる証拠だよ」
 予想だにしない本人証明だった。それほど世間的に認められているヘタクソさというのは、芸術的というより芸術そのものといってもよいかもしれない。
 ともあれ、それで信じてもらえたということは、下手な地図に四苦八苦したことも無駄ではなかったということだ。
「信用してもらえたならよかった。ちなみに、さっきはすごく警戒してましたけど、何だと思ったんですか?」
「ん?いやあ、別に大したことじゃないよ。この辺は物騒だからね、強盗とかに備えてるんだよ」
「いや、でも目的とか素性とか訊いてきたじゃないですか。強盗相手だったらそんなこと訊かないでしょう?」
「まあまあ、いいじゃない。ちょっと言ってみたかっただけだよ。それより柏木さんの紹介で来たってことは、何か依頼があってのことだよね?」
 明らかに誤魔化しが入っていたが、確かに本題はそちらだった。

 そして彼女はいま、「来た」という表現を使った。

「来たっていうのは、まさか……」
「イエース、大正解。君は無事、目的地に到着したわけだよ。おめでとうぱちぱち」
 そう言って彼女は拍手の真似をした。
 正解とはつまり、この店が?
 翼斗は改めて店内を見回したが、どう見ても、ただの八百萬ジャンク・ショップだった。それ以上でもそれ以下でもない。
「えっと、ということは、あなたが追跡屋の人……?」
 先ほどの蛙のようにひっくり返った彼女の姿を思い出し、途方もない不安に襲われた。翼斗が依頼しようとしている事を、彼女が実現出来るとはとても思えない。
「なによその目は。私は違うわよ、私は八百萬ジャンク・ショップの店主であり、ただの案内人。あの子たちの仕事柄、場所が知られると色々とまずいからね。私がこうして一次審査をしているわけだよ」

 なるほど。そういうことか。
 仕事柄、と彼女は言ったが、確かに柏木に聞いた話からすると、“追跡屋”はいかにも敵を作りやすそうな職業だった。用心のために、こうして段階を踏んでいるということだろう。
 危うく一次審査で死ぬところだった。

「じゃあ、これからあなたが追跡屋の事務所まで案内してくれるっていうことですか?」
 それならそうと柏木も言ってくれれば良かったのにと思う。そもそも知人に誰かを紹介する時は、あらかじめ連絡をして然るべきではないか。手書きの地図といい、どうもコミュニケーション手段が前時代的に感じる。
「そういうこと。じゃあさっそく一名様ご案内といこうかな。君、お名前は?」
「柊です。柊翼斗」
 翼斗が名乗ると、彼女の表情がさっと曇り、青色が浮かんだ。
「ヒイラギって、もしかして今朝の事故の?」
 彼女もニュースを聞いたらしい。交通事故なんて滅多に起こることではないので、それなりに大々的に報道されているようだ。
「はい。僕は息子です」翼斗は短く答えた。あまりここで踏み入りたい話題ではなかった。
「そう……それで、そんな悲しそうな顔してたんだね」
 彼女の言葉に、翼斗は驚いた。平静を装っているつもりだったのだが、そんなに顔に出てしまっていたのか。トコネに金庫のことが見抜かれたことを思い出す。
「ごめん。そういえば私も名前言ってなかったね。八百萬璃々といいます。リリでいいよ」
 そう言って彼女が手を差し出してきた。
 まさか本名だったとは。

 璃々は店の裏口に翼斗を案内した。
 驚くべきことに、追跡屋TAGは八百萬ジャンク・ショップの裏手にあるらしかった。

「そういえばトコネちゃんには会った? 元気してた?」
 璃々が、共通の友達の話題を振るかのように話しかけてきた。
「元気……元気だったと思いますよ、たぶん。機嫌はよくなさそうでしたけど。八百萬さんはREVERENCEとどういう関係なんですか? 柏木さんとも顔見知りな風でしたけど」
「璃々でいいって。柏木さんは、元々うちのお得意さんなんだよ。追跡屋じゃなくてジャンク・ショップの方ね。仕事で何度か一緒してるうちに、いつの間にか仲良くなってた」
 確かに、彼女なら誰とでも仲良くなれそうだった。
「トコネさんって、どういう人なんですか? あんなに若いのにREVERENCEのボスって、結構、というかかなり普通じゃない気がしますけど」
「フルネームは久遠トコネちゃん。めっちゃカワイイ。まだ確か二十歳になってなかったかなあ。柏木さんの養子で、つい最近、柏木さんの後を継いだんだよ」
「養子……つまり世襲ってことですか? ああいう組織だとよく思わない人も多そうですけど」
「うん、最初は結構ざわついてたけどね。実力は確かだし美人だしで、むしろ柏木さん時代より結束してるらしいよ。すごい子だよねえ」
 そんなに人物を「カワイイ」と評する璃々もなかなか只者ではない。
 久遠トコネ。あの若さで頂点に立つなんて、いったい何歳の時から血で血を洗う世界を生きてきたのだろうか。

 

001 八百萬ジャンク・ショップ①

 

 翼斗は立ち尽くしていた。
 地図で示された場所に、ようやく辿り着いた……はずだった。
 しかしそこにあるのは、どう見ても、ただの古ぼけた商店だった。

 さかのぼること半日前。
 墓地を後にした翼斗は、疲労がピークに達していたため、陸に教えてもらった安ホテルに入ってベッドに倒れ込んだ。しかし、身体は睡眠を欲しているはずなのに一晩中ほとんど寝ることができず、だるさの残る体を奮い立たせて、翌朝から活動を再開することにしたのだった。
 柏木の手書きの地図を見ながら、☆マークの目的地を目指して進んだ。
 が。これがまったく上手くいかない。
 今までGPSとルート案内に頼りきりになっていた弊害もあるのだろうが、いかんせん地図の完成度が低すぎた。
 T字路が十字路として書かれていたり、道の数が違ったり、目印として書かれた建物の名前が字が汚すぎて読めなかったり、うろ覚えなのか大きな丸を書いて「だいたいこの辺」などと書かれていたり……その都度自分で地図を修正する必要があり、まるで出来の悪いテストの答案を採点する教師の気分だった。
 赤点だ。補習を受けろ。
 異国で一人道に迷ったかのような心許なさの中、それでもどうにかこうにか暗号を解き明かし、ようやく辿り着いた。
 はずだった。
 何度も地図を見返し、他の目印との位置関係なども確認したので、この場所に間違いない。

『八百萬ジャンク・ショップ』

 看板にはそう書かれていた。

「あのじいさん、自信満々に人を送り出しといて、まさか間違えたのか……」
 しかし間違えるにはあまりに個性的な店名である。
 店の前には、用途不明の機械のパーツや部品が山積みになっている。
 扉が開いているので中を覗くと、そこもやはりガラクタの山だった。工具類、電子機器の基板、怪しげなラベルの缶やスプレー、大小の車輪などが所狭しと並んでいる。
 そして神棚のようなところに、やたらとファンシーなぬいぐるみ——警察官のような服装をしたキャラクターのぬいぐるみだった——が飾ってある。
 店内のどこにも『TAG』の名前は見当たらなかった。

「にゃあ」「みゃあ」

「ほっ!?」
 突然聞こえた猫の鳴き声に驚き、変な声が出てしまった。
 カウンターの真ん中に黒猫が二匹、吾輩たちの店である、とでも言いたげに、並んで翼斗を見つめていた。
 視界には入っていたが、ただの置物だと思っていた。
「こんちわ……」と挨拶をしてみるが、反応はない。ただじっと翼斗を見つめていた。
 翼斗は、動物に対しても色を視ることがあった。虫や魚に対してはなかったが、道を歩く猫や散歩中の犬、鳥など、知能や感情がありそうな動物には色を感じることができた。そのほとんどが、警戒を表すオレンジ色だったが。
 しかし目の前の猫たちには警戒する様子がなく、オレンジ色も視えない。人懐こいのだろうか。
 まあいい。猫は嫌いではないが、今はじゃれている場合ではない。
「廃業して店が変わったってことは、ないよな……」
 肩を落としたが、どうせだから店の人にも尋ねてみようと、店内に入ることにした。もしかしたら何か知っているかもしれない。
「あの、すみません」
 店先に店員はいないようなので、店の奥に向かって声をかける。
「はーい」
 すぐに奥から、女性の声で返事が返ってきた。
 改めて店内を見回す。
 八百萬―ヤオヨロズと読むのだろうか―というのは、何でも扱っているという意味だろうか。その割には品揃えがマニアック寄りに偏っている気がするが、どんな客が来るのだろう。

「はいはーい、お待たせです」
 軽快な口調とともに現れたのは、ボロボロのツナギとゴーグルにボサボサの髪という出で立ちの、若い女性店員だった。
 黒猫たちは「にゃあ」「みゃあ」と鳴くと、女性店員と入れ替わるようにカウンターから降り、店から出て行った。
「あの、道をお訊きしたいんですが」
「んん?」
 やにわにゴーグルを外し、翼斗の顔を凝視してきた。
 眉間にしわを寄せているが、もしかしてにらまれているのだろうか。
 客以外はおとといきやがれということか。もしくは道も知らない新参者に冷たく当たる排他的な文化なのか。
 翼斗が緊張していると、「お客さん、だれ?」と訊いてきた。
 誰、とはどういう意味だろう。試しに「オレだよオレ」とでも答えてみようか。
「ちょっと待って」と女性は一度奥に引っ込み、すぐに出てきた。ゴーグルから眼鏡に変わっている。今どき、眼鏡を使ってる人はなかなかいないので珍しい。そしてよく似合っていた。
「おや? 一見さんだったか」
 改めて翼斗の顔を見て、彼女はそう言った。単純に視力が悪かったらしい。恐らく常連客か知り合いと勘違いしたのだろう。
「何かお探しで?」
 そう言って、ジャンクパーツの品定めでもしているかのように、じっと見つめてくる。
 その表情に、黄色が浮かんでいるのが視えた。期待の色。好奇心旺盛な人によく見られる色だ。そういえば児玉が荒唐無稽な話をする時にも、よく黄色が浮かんで見えたものだ。
「いえ、すみません、道を訊きたいだけなんですけど。この辺に『追跡屋TAG』っていう店はありませんか?」
 翼斗は本題を切り出した。と、その時。
 女性店員の顔にほんの一瞬だがオレンジ色が差すのを、翼斗は見逃さなかった。
「タグ?」
「いや、タッグ、かもしれないですけど。ティーエージーです。ご存知ないですか?」
「知らないなあ。誰かに聞いたの?」

 怪しい。何かを知っていて、隠そうとしているように見える。
 駆け引きをしている場合ではなかった。

「REVERENCEの柏木って人に聞いて、探してるんですが見つからなくて。何か知ってるのなら、教えてくれませんか」
「柏木さん? ふうん。ホントかなあ」
 柏木という名前に反応した。
 疑われる理由は分からないが、いずれにせよ、この人は何か知っている……いや、試されている?
「ええ、ここに」と翼斗が上着のポケットに手を入れたその時、

「動かないで」

 女性店員の、それまでの口調とは打って変わった硬い声が響いた。
 手には銃が握られ、その照準は、翼斗の眉間に真っ直ぐ合わされていた。

 ……いや、銃かこれは?

 銃というには特殊な、あまりに個性的な形状をしていた。
 昔の映画で観たことのある、パチンコという武器を思い出す。ゴムで石などを引っ張り、反動で撃ち出す原始的な武器。それに照準器と銃身と弾倉を取り付けたような、どこか子供のオモチャじみた見た目だった。

「こいつを銃なんかと一緒にしないことね。銃より威力は低いけれど、大の大人を一発で昏倒させることくらいは出来るよ。銃ほど連射は効かないし当てるのにコツもいるけど、当たればイッパツだよ」
「それ、銃の方がいいんじゃないですか?」
「銃なんて人殺しの道具よ! それに銃よりカッコいいでしょ?」
「カッコいいって……」
 整備士のような服装といい、もしかして自分で作ったのだろうか。
「これを突き付けられてもビビらないってこととは、やはり只者じゃないわね。かなり若いみたいだけれど。素性と目的を言いなさい」
 そう言って銃身部分を後ろに引っ張る。その指を離すと反動で弾が飛ぶ仕組みなのだろう。

 確かに、自分でも意外に思うほど、翼斗は冷静だった。というより、物事に動じなくなっているのかもしれない。それは危険に対して鈍感になっていることと同義で、決して良い事ではないのだろうが。

 

前章までのあらすじ&登場人物紹介

 

《前章までのあらすじ》

 柊翼斗は脳科学者である両親のもと、地上で平穏な高校生活を送っていた。
 しかしある日、その日常は一変する。
 家族を失った翼斗は一人、目的を見失い、東京の大地下空間であるアンダープレートへと流れ着く。
 そこで反社会組織REVERENCEのアジトに連れて行かれた翼斗は、両親と知り合いだったという柏木という男に会い、『追跡屋TAG』を紹介される。


《登場人物紹介》

【柊家】

 ◆柊翼斗 -ヒイラギヨクト-
  ・高校2年生。
  ・生まれつき脳に異常があり、言葉や音、他人の顔に色を感じるという
   「色視の力」を持っている。理化学研究センターの附属病院に定期的に
   検査のため通院している。
  ・正義感が強いが、内向的で物事を深く考えすぎるところがあり、
   よく一人で悶々としている。
   
 ◆柊刹那 -ヒイラギセツナ-
  ・中学3年生。翼斗の妹。
  ・ゲームが大好きで、特にVWOにはまっている。
   好きなゲーム実況者はチャコ。
  ・明るく前向きな性格。考え無しに行動する傾向がある。

 ◆翼斗の父、母
  ・夫婦ともに脳科学研究者。
  ・理化学研究センターの脳科学研究室に所属。センター長の天衣博士とは
   同じチームで、昔から親交があるらしい。
  ・のんびり屋の父と、竹を割ったような性格の母。


【REVERENCE -リベレンス-】
 ・アンダープレートを実効支配している反社会勢力。
 ・four-leavesの下層再開発に強硬に反対している。
  また地上の暴力団アカツキ組と対立している。

 ◆柏木冬衛 -かしわぎとうえ-
  ・REVERENCEの創始者であり、先代のボス。
  ・柊夫妻とは知り合いだったらしく、息子である翼斗の世話を焼く。

 ◆久遠トコネ -クオントコネ-
  ・REVERENCEのボス。
  ・着物を好むが、動きにくいという理由で自己流に着崩している。

 ◆シュノー&陸 -シュノー&リク-
  ・REVERENCEの特攻隊。
  ・いつも大体アンダープレートの南側をうろうろしている。
  ・見た目は元軍人と元殺し屋。by翼斗
 

【その他】

 ◆イツキ
  ・世間を騒がしている残忍な連続殺人犯。
  ・直接手を下さず、相手を自殺させて殺す。
  ・相手の思考が読めるのか、銃弾をかわす。また異様に高い
   身体能力を持っている。